スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

川上哲治監督のエピソードが、落合博満監督のエピソードに酷似している件















9年連続優勝など、不世出の日本最高の名監督、川上哲治監督


kawakamitetsuharu.jpg


その名将川上哲治監督のエピソードが続々と追悼報道されています。

その報道の内容を見れば見る程、落合竜と酷似しており、落合監督と酷似していることがわかりました。

というか、落合竜がV9川上哲治ジャイアンツに酷似していたというか、落合監督が川上哲治監督に酷似していると言いますか、とにかく似たエピソードが多いんです。



厳しくて新しかった名将・川上 長嶋さん「偉大」王さん「手本」

http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/10/31/kiji/K20131031006914200.html

ONも川上氏の死を悼んだ。
福岡市内の自宅前で報道陣に対応したソフトバンクの王貞治球団会長は
「とにかく勝負に徹した人だった。僕もバントしたし、長嶋さんもやらされた。9年続けて勝てたのは川上さんの勝利への執念が生み出した歴史的記録」
と指揮官の功績を称えた。

監督として歴代最多となる11度の日本一。
川上氏は監督就任1年目の61年に米フロリダ州ベロビーチでキャンプを張り、それまで日本になかった組織的なドジャース戦法を導入した。
その旗振り役としてシーズン途中、中日OBの牧野茂コーチを招へい。
移動日も練習を命じた。
南海を相手にしたこの年の日本シリーズ期間中、2勝1敗で迎えた第4戦が中止になると、土砂降りの多摩川でバットを振り込ませた。
王会長は
「突然全員集合が掛かり、脇が甘いからと浴衣の帯で縛られたこともある」
と述懐した。

選手に厳しさを植え付ける一方、球界初の専属広報を置き「哲のカーテン」と呼ばれる報道規制を敷いた。
オフは岐阜県の禅寺、正眼寺にこもった。
のちに和解する広岡達朗が自分の打席で三塁走者の長嶋が度重なる本盗を企てたことに腹を立てて造反した64年オフ、現役時代の背番号16との決別を決意。
77に変えた翌65年から不滅のV9がスタートする。

「石橋を叩いても渡らない」と言われた手堅い野球に面白くないという批判もあったが、ぶれることはなかった。
信念の采配。
王会長は
「手本にしていた。その影響を受けた人が野球界で監督、コーチとして活躍している」
と述べる。
厳しいだけでなくスランプの時に甲子園の阪神戦が中止になり、京都・祇園のお茶屋「一力亭」に連れて行ってもらったエピソードも披露した。

現役引退と同時に75年に監督を禅譲された巨人の長嶋茂雄終身名誉監督は
「巨人軍の4番打者として、監督としてバトンを受け、その偉大さを感じた毎日でした。勝負にも選手教育にも一切の妥協を許さない厳しさで前人未到のV9に大きな役割を果たされました。巨人軍、プロ野球のあるべき姿を教わるなど、私自身大きな影響を受けた先輩の一人です」
とコメントした。




読売新聞社という新聞社の親会社を抱えていても、報道規制をしっかりと敷いていた川上哲治監督。

・・・だからと言って、川上哲治監督のことを悪く記事に書いたりするなどという、どこかの新聞社みたいな異常な行為は、読売新聞やスポーツ報知は絶対にしません。

そんな常識はずれな事をする新聞社が、この世に存在するはずがありません(笑)。


川上哲治氏の野球は面白くないという批判もあった、という事実も知りませんでしたが、落合竜と状況が酷似していますね。

落合監督の頭の中には、いつも理想の監督像として川上哲治監督の姿があったのではないでしょうか?

川上哲治監督は読売新聞から英雄視され、巨人大鵬卵焼きの時代を作りました。


落合博満監督は中日新聞から誹謗中傷記事を書かれ、ジョイナスというくだらない2年間を作りました。

ハッキリ言って、中日新聞社の異常さに比べたら、読売新聞社の方がはるかにマシです。

中日新聞社社員には、恥を知ってもらいたいものです。







コメント欄で良い記事を教えていただきました。



ニュース詳細川上哲治氏 しのぶ声相次ぐ

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131030/k10015683311000.html

川上哲治氏の訃報を受けて、故人をしのぶ声が相次いでいます。


長嶋茂雄氏「とてつもなく大きな存在」


巨人のV9時代に、選手として活躍した長嶋茂雄終身名誉監督は
「突然の訃報に驚き、戸惑っています。私にとって川上さんは、とてつもなく大きな存在でした。巨人軍の4番打者として、監督としてバトンを受け、その偉大さを感じた毎日でした。選手としては、赤バットでプロ野球の人気を高め、監督としては、勝負にも選手教育にも一切の妥協を許さない厳しさで、前人未踏のV9に大きな役割を果たされました。巨人軍、プロ野球のあるべき姿を教わるなど、私自身大きな影響を受けた先輩の1人です。ご冥福をお祈りいたします」
と球団を通じて、コメントを発表しました。


王貞治氏「勝負に対する執念教わった」


川上哲冶さんが巨人の監督を務めた際、選手として共に戦ったソフトバンクの王貞治球団会長は
「打撃の神様と言われ、戦後の野球界をリードするとともに、余人ではできないV9を達成した野球の神様のご逝去に、心よりお悔やみを申し上げます。勝負に対する執念、最後まで諦めないということを徹底して教えていただき、自分の人生で実践することができました。心から感謝申し上げます。安らかにお眠りください」
と球団を通してコメントを発表しました。


原辰徳監督「さん然と輝く大先輩」


巨人の原辰徳監督は、
「巨人にとって、さん然と輝く大先輩でした。キャンプの前やシーズン中に手紙や電話をいただいていましたが、ここ1、2年は、OB会に出てこられなくなっていた。多摩川にあった室内練習場で、打撃指導をしていただいたことが大変印象に残っていて、私も指導に生かしています。川上さんは、プロ野球にとって宝物で、ご冥福をお祈りいたします」
と話していました。


星野仙一監督「勝負に厳しい人だった」


楽天の星野仙一監督は日本シリーズの試合前に報道陣の取材に応じ
「野球に人生をかけた勝負に厳しい人だった。監督としていろんなことを学ばせてもらった。野球を離れれば情にも厚い人でパ・リーグ優勝のあとはがきを頂いた。『しっかりやれ』ということだった」
と思い出をかみしめるように話していました。





落合博満氏「野球界で一番大事な人亡くした」

現役引退後に野球解説者として一緒に活動していた時期のある中日の落合博満ゼネラルマネージャーは
「川上さんには生前、
『お前の野球を見てみたいから俺が死ぬまでに監督をやれよ』
と言っていただいた。
『お前のキャンプに取材に行くからな』
と言ってくれて沖縄までわざわざ見に来てくれて2、3日間練習を見て
『おれは満足して帰るよ』
とニコッと笑って帰って行かれた。川上さんがどれだけ偉大かは改めて述べる必要のない人だと思っている。野球界で一番大事な人を亡くしたという感じがする」
と話していました。





金田正一氏「すばらしい野球人生」


現役時代、川上さんと何回も対戦し、その後は巨人に移籍して選手としてV9を支えた400勝投手の金田正一さんは
「寂しいけどしかたない。人のまねできないことを全部やられて、すばらしい野球人生だったと思う。厳しい人だったが、チームをまとめていくことには長けた才能の持ち主だった。『金田あってのV9の始まりだ』と言ってくださったのは感動してうれしかった。素直に自分の師匠のように思っている」
と話しました。
そのうえで
「われわれは川上さんを忘れてはならないし、思い出も語り尽くせない。やり尽くして、やり遂げて、野球人生を満喫した川上哲治さんという人は、とてつもなく幸せな人だと思います」
と話していました。


桑田真澄氏「大エースになれと言われた」


巨人でエースとして活躍した桑田真澄さんは
「若いころに遠征先の宿舎で『巨人のエースになるには、ほかのチームの選手と同じ気持ちではだめだ。もっと野球を深く勉強し、大エースになりなさい』と言われたことを、印象深く覚えています。巨人にとって偉大な方を亡くしましたが、川上さんの思いを皆でつないで、これからの巨人に生かしていきたい。野球人として『ありがとうございました』と言いたいです」
と話していました。


堀内恒夫参議院議員「巨星落つ」


プロ野球・巨人のV9時代のエースとして活躍し、巨人の監督も務めた自民党の堀内恒夫参議院議員は、東京都内で記者団に対し
「先ほど亡くなられたことを知り、驚いた。100歳まで生きられると思っていたので、残念としか言いようがない。私にとっては雲の上の人で、選手としては『打撃の神様』と言われ、監督としても9連覇を成し遂げた大監督であり、『巨星落つ』という感じだ。野球人生に悔いはないと思うし、本当にゆっくりと休んでいただきたい」
と述べました。


高田繁氏「競争意識作るのが上手だった」


巨人のV9時代に活躍したDeNAの高田繁ゼネラルマネージャーは
「川上さんが監督でなければV9は達成できなかったと、断言できます。チームの中に緊張感や競争意識を作るのが本当に上手な方でした。気を抜いたり、痛い、かゆいと言えば、すぐにメンバーから外される。当時は長嶋さんや王さんも同じ緊張感を持っていたのではないかと思います。心から尊敬していました」
と球団を通じてコメントを発表しました。


野村克也氏「真の野球学話し合いたかった」


南海時代にV9時代の巨人と日本シリーズで対戦した野村克也さんは
「野球人である前に社会人であれという考え方の持ち主だった。亡くなったことはなんといっても残念。もう1回、直接お会いして真の野球学というものを話し合いたかった」
と話していました。


元阪神の小山氏「ボールの見極めすばらしかった」


阪神などでプロ野球歴代3位の通算320勝を挙げ、現役時代の川上哲治さんとも対戦した小山正明さんは、
「私がプロ入りした時、川上さんはすでに現役の晩年だったが、ボールの見極めがすばらしくうまかったことを覚えている。その川上さんが『小山は次代を担う投手になる』と言っているのを人づてに聞き、大きな自信になった。川上さんのひと言ひと言が、当時、若造だった私をどれだけ勇気づけてくれたか分からない。お悔やみ申し上げます」
とコメントを発表しました。




川上哲治氏と落合監督の交流は、まさに、

「天才が天才を知る」

という、極めてレベルの高い意識を持った賢者の交流だったのだと思います。


川上哲治氏の偉大なところは、読売OBとして読売のことばかり見ていたのではなく、いつも日本の野球界の発展を願い、その視点に立ち決してぶれる事無く、公平で広く深い視野を持ち、そしてその視線はいつもあたたかいものだった、というところです。

川上哲治氏の発言は、いつも公平で深く、日本球界を正しく導く絶対的な指標というレベルの存在でした。


わざわざ沖縄北谷キャンプを見に来て、しかも1日じゃなくて3日も見て、

「俺は満足して帰るよ」

と笑顔で落合監督に言い残したというこのエピソードの根底には、多くのものがあると思います。


以前、落合監督がドラゴンズを退団して間もなく、矢野燿大さんの阪神番組に出演した時、

「ウチの6勤1休キャンプって、別に新しくもなんともないよな、俺の時代はいつもこうだったよな、と言っていた昔の野球やっていた人がたくさんいたよ。」

と発言していました。

川上哲治氏と落合監督が、北谷のバックネット裏でこういう会話を交わしていたんじゃないかなと思います。

天才と天才だけが知る、英雄と英雄だけが解り合える、濃密で高度な交流だったんじゃないかと思います。


そういえば昔、川上哲治氏が2004年の北谷キャンプを見に来て、すごくほめていたのを中日スポーツで見たような記憶が・・・







川上氏が手本だった 野村克也氏 名将への第一歩は対巨人完敗だった

http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/10/30/kiji/K20131030006913180.html

巨人の監督を14年務め、V9を含む11度の日本一に輝いたた川上哲治氏を悼み、南海、ヤクルトでチームを優勝に導いた元楽天監督・野村克也氏は「まさに神様だった」と故人を悼んだ。

野村氏は
「野球少年だったので、赤バットの川上、青バットの大下に憧れていた。京都の田舎で巨人ファンだった」
と、戦後の荒廃の中で子供たちの希望のシンボルだった、選手時代の川上氏をなつかしそうに振り返った。

野村氏が南海入りしたのは1954年(昭29)。
当時、巨人の大スターだった川上氏とテスト生入団でブルペン捕手のような扱いだった野村氏とは本当に「遠い存在」だった。
やがて選手としてパ・リーグを代表する選手となった野村氏は、選手として川上巨人と日本シリーズで3度対戦したがいずれも敗れた。

野村氏と川上氏が直接監督として対戦したのが73年の日本シリーズ。
セ・リーグ9連覇を最終戦で達成し、その強さにかげりを見せていた巨人に対し、野村氏率いる南海がシリーズで巨人の日本一を食い止める可能性があるとされたが、結果は1勝4敗。
力ではなく、勝ち方を知っている川上巨人の前に歯が立たなかった。

以来、野村氏は川上氏を意識するようになった。
「監督を長くやってきたが、常にV9時代が頭にあった。川上さんだったらどうするかと考えて、川上さんをかがみにした」。
南海の監督を解任され、ヤクルトの監督として復帰し3度の日本一、4度のリーグ優勝を勝ち取った。
監督としての通算勝利数も川上氏の1066勝を上回る1565勝を記録したが、その底流にあったのは、選手時代の恩師である故鶴岡一人監督の親分・子分の関係で選手を動かす采配ではなく、川上氏の勝負に徹する厳しさだった。

「もう一度お会いして、真の野球学を直接聞いてみたかった。これが野球だというお手本を示していた」
と野村氏は静かに語った。




名将・野村克也監督の意識には、常に川上哲治監督の姿があったようです。

名将・落合博満監督の意識にも、常に川上哲治監督の姿があったに違いありません。

名将、名将を知る。

名将、名称を理解す。

天才たちだけが知る、天才たちだけの世界が、そこにはあるような気がします。


そういえば落合監督を誹謗中傷する人達って、みんな頭が悪くて能力が低い人ばっかりですよね。

中日三流OBコーチとか、中日新聞の記者とか、中日スポーツの記者とか、坂井克彦とか、木俣とか小松とか田尾安志とか、カスばっかりじゃないですか。

さもありなん、だと思います。







V9時代のエース・堀内氏、川上氏は「人生で一番怖い人だった」     

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131031-00000042-sanspo-base

戦前、戦後にかけて巨人で活躍し「打撃の神様」と呼ばれ、監督としては9年連続日本一の金字塔を打ち立てるなどプロ野球に偉大な功績を残した元巨人監督の川上哲治(かわかみ・てつはる)氏が28日午後4時58分、老衰のため東京都稲城市の病院で死去した。

V9時代のエースとして活躍した堀内恒夫参院議員は都内の事務所で
「100歳まで生きられたのに、俺たちを育てた疲れで寿命が7年短くなったかな」
と悼んだ。
現役時に阪神との天王山に遅刻し、第1戦の先発を回避したことがある。
「監督室で3時間も正座。おやじは何も言わず酒飲んでる。あれはこたえた」
2004年の巨人監督就任時は
「戦力的に厳しいが頑張れ」
と2度も東京ドームのベンチを激励してくれた。
「人生で一番怖い人だった」
と黄金時代を懐かしんだ。




現役時代、堀内投手は「悪太郎」というあだ名がつくほどの問題児だったそうです。

先輩にもコーチにも反抗的な態度、マスコミにも言いたい放題、しかしそんなワルだった堀内投手が、川上哲治監督の監督室で3時間黙って正座しているというのは、よほど川上哲治監督の存在が恐ろしかったのだと思います。


ドラゴンズにおいても、落合監督を怖くないと思っている選手は一人もいないと思います。

「本当に恐ろしい監督」 というものはどういう監督なのか?

選手からみて、自分の本質を完全に見抜いていて、確実に本質を突いて叱って来る監督のことを言うのでしょう。

だから選手から見て、高木監督も星野監督も、いつも怒っているかもしれないけれども、ドラゴンズの選手達は腹の底では怖くもなんとも感じてなかったと思います。

「本当に恐ろしい監督」

というものは、川上哲治監督や、落合博満監督のような大人物のことをいうのでしょう。





上哲治氏死去 V9戦士らの思い 「誰も逆らえぬ 暗黙の統率力」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131031-00000086-san-soci

■少年野球に尽力「子供たちに夢と楽しみあげたかった」

選手として、指導者として輝かしい成績を残した川上哲治(てつはる)氏が、プロ野球日本シリーズが佳境を迎える中、93歳で静かに息を引き取った。
戦前から戦後にかけ巨人の主力打者として活躍、「打撃の神様」の愛称で日本社会に夢と勇気を与えた後は、巨人監督として長嶋茂雄、王貞治の二大スターを率い、V9という不滅の偉業を成し遂げた川上氏。
ともにプレーした仲間やファンらは、球界に偉大な足跡を残した「背番号16」の死を悼んだ。

「雲の上の人。私が唯一恐れた人だった。100歳までは元気でいてくれると思っていたのに」
川上氏のもとでエースとして活躍し、巨人のV9(昭和40~48年)に貢献した堀内恒夫氏(65)は唇をかんだ。

巧妙なサインプレーや守備のカバリングなど「3年先をいく野球理論」で常勝軍団を率いた。
選手をほめたり怒ったりしたことはほとんどなかったが、長嶋茂雄氏(77)に声を荒らげたときのことを覚えている。

40年代前半、巨人打線は阪神先発投手の江夏豊氏(65)にまったく歯がたたず、ベンチにあきらめムードが漂っていた。
長嶋氏が
「今日の江夏は打てません」
とつぶやくと、川上氏の声がベンチ内に響いた。
「ジャイアンツの4番が何を言っている。おまえが打たずに誰が打つんだ」
この怒声にベンチの雰囲気は変わり、長嶋氏は次の打席で本塁打を放った。

堀内氏は
「怒るときも理論。選手一人一人の様子をみて、誰に何を言えば一番効果があるかを計算していた」
7年ほど前、タクシーに乗っていたとき、ラジオに出演していた川上氏が
「堀内がいなければV9は達成できなかった」
と言うのを聞いた。
「現役を離れて何十年もたっていたけれど、胸にじーんときた。あの言葉は私の宝物です」

国鉄時代に川上氏と対戦した400勝投手の金田正一氏(80)は最初の対戦をよく覚えているという。
「“赤バット”で知られた川上さんは当時、球界のスーパースター。17歳の若造が気後れせずに立ち向かっていったが、どんな球を投げても打撃フォームがぶれることがなくすごいと思った」

「とことんやれば、おのずと道は開ける」
が信条の川上氏。
毎日千回もの素振りを欠かさなかったという。
有名な
「ボールが止まって見えた」
というエピソードは30歳になった25年ごろに生まれた。

川上氏は巨人監督に就任した後、金田氏を巨人に入団させた。
V9が始まる40年のことだ。
金田氏は
「誰も逆らえない暗黙の統率力があった。ぶれずに徹底してやっていく人だった」
と振り返った。
マスコミの取材を規制し、東西冷戦時代に東側と西側を隔てた「鉄のカーテン」をもじって「哲のカーテン」と言われた逸話も残る。

V9の途中まで選手として活躍し、44年からコーチを務めた須藤豊氏(76)は
「コーチは自らを律して野球を勉強しろ」
「我慢強く選手を見ていけ」

と指導者の基本を教えられた。
ユニホームを脱いだ川上さんは、明るく酒を飲み、楽しげに思い出話を語る人だったという。
一緒にテレビの時代劇を見て、思わず涙をこぼすこともあった。
須藤氏は
「実際はシャイで人情家だった」
と語った。

川上氏は49年に巨人監督を勇退後、全国を回り少年野球の育成に力を注いだ。
ブラジルや旧ソ連まで出向いたことも。
平成4年に文化功労者に選ばれた際には
「勝負にこだわらず、強い体をつくり、強い心を養うのが第一。子供たちに夢と楽しみをあげたかったんですよ」
と話していた。




名将、川上哲治監督のエピソードを集めれば集める程、まるで落合博満監督のエピソードを集めているかのような錯覚に陥ります。

「選手をほめたり怒ったりしたことはほとんどなかった」

とか、

「マスコミの取材を規制」

とか、

「コーチは自らを律して野球を勉強しろ、我慢強く選手を見ていけ」

と言ったエピソードとか、

「実際はシャイで人情家だった」

とか・・

まるで落合博満監督そのものじゃないですか。

落合監督は監督になるにあたって、名将になることを望み、名将であることを決意し、川上哲治監督の過去行動を徹底的に研究して勉強し、実践実行に移して行動していたんだと思います。




kawakamiou.jpg






落合監督、正力賞 稲尾氏から最後の贈り物

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/dragons/news/2007/200711/CK2007111402064140.html

プロ野球の発展に貢献した選手、監督らに贈られる「正力松太郎賞」の選考委員会(川上哲治委員長)が13日、東京都内で開かれ、中日の落合博満監督(53)が選ばれた。
チームを53年ぶりの日本一に導いた手腕を評価されたもので、自身も球団としても初受賞。
賞金500万円などが贈られる。
くしくもこの日、同賞の選考委員で、落合監督にとって現役時代の恩師にあたる稲尾和久氏が悪性腫瘍(しゅよう)で急逝した。
まな弟子の晴れ姿を見ることなく、野球の師は永遠の眠りについた。

5人いる選考委員が1人欠け、開かれた。
恩師の訃報(ふほう)。
テレビで知った直後に届けられた朗報。
川上哲治委員長はこう語った。
「稲尾君がみえられたとしても、落合君を推したと思う」
伝え聞いた落合監督は、しばし絶句した。

「稲尾さんも委員だったのか…。野球界から大きな星が1つ消えたな。投手とはこういう生き物だ。投手は打者のことをこう考えている。そういう投手心理は私には分からない。私に野球を教えてくれた数少ない人。それは今も私の中に財産として残っている。もうちょっと、野球の話を聞きたかった…」

84年から3年間、ロッテの監督と主砲として戦った。
会えば野球の話。
メシを食い、酒を飲み、時にさい配を批判した。
「あそこはバントだろ! とかね。稲尾さんは決まって最後にこう言ったな。『オレが監督だ』ってね」
主砲の“越権”に耳を貸す度量があった。
落合邸で信子夫人の手料理に舌鼓を打つ機会も多かった。
監督と選手という立場を超越した付き合い。
だから稲尾解任とともにロッテを去り、中日へ移籍した。

同賞は日本球界では最高の栄誉とされる。
自身にとっても、球団にとっても初受賞。
とりわけ1982年の記憶がほろ苦い。
28歳で獲得した史上最年少の三冠王を、周囲は「大本命」と見た。
受賞の決定に備え、報道陣にも取り囲まれた。
だが、朗報は届かず。

「(その時は)次には取れるようにと思ったけど、三冠王を2回取ってもダメだったね。だからオレには一生、縁がないかなとも思った。人が選んでくれる賞にはまた別の重みがある」

知らせを聞いた時、傍らの信子夫人が
「25年かかったわね」
としみじみと声を掛けたそうだ。
受賞理由は日本一に導いた手腕。
そこには日本シリーズ第5戦の『非情の継投』も含まれている。
「正力さんはいつも『勝負に私情をはさんではいかん』と言っておられた。日本シリーズでも勝敗に徹して、そういう強い信念が感じられた」
川上委員長の言葉である。
賛否両論を巻き起こしたさい配が、球界最高の賞で認められた。

「70歳か。早いな…」
選考委員会を前にした稲尾氏の急逝。
さらなる落合野球の進化こそが、旅立った鉄腕への供養となる。





2007年の日本シリーズ最終戦、53年ぶりのドラゴンズの日本一をかけた試合に、山井投手が8回で降板した采配に対し、力強く支持表明してくれた日本一の名将だった川上哲治さん、その偉大な功績もさることながら、日本野球界にむけた視線はいつもあたたかく公平で正義感に満ちた、広く深いものでした。

名監督、名監督を知る・・・・落合竜に造詣が深く、理解も深かった川上哲治さん、落合竜への援護発言ありがとうございました。

改めてご冥福をお祈りいたします。


















http://space.geocities.jp/studiojetto/jyunjinoboyakinow.html







谷繁監督が、「あれだけ練習するヤツを見たことない」 と評する佐伯二軍監督、さっそく始動の模様です。


中日・佐伯二軍監督いきなりモーレツ指導

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131031-00000018-tospoweb-base

saekiyoshikawa.jpg
吉川(左)に熱血指導する佐伯二軍監督

中日の二軍監督に就任した佐伯貴弘氏(43)が30日、ナゴヤ球場で行われている秋季練習に飛び入り参加した。
「荷物の整理をするために来たので練習を見る予定はなかったんですが谷繁監督と森ヘッドに“見ていけ”と指令されまして…」
と話したが、そんな言葉とは裏腹にいきなり熱血指導を披露した。

“標的”となったのは高卒3年目の吉川。
通常のメニューを終えたところをつかまえるとロングティーの“延長練習”を指示。
しかも、そのボールの量は箱いっぱい。
約40分をかけてようやく終了となった。
吉川は
「下半身の使い方が具体的に分かりました。体に染み込ませろ、と言われた」
と言いつつ
「フラフラです」。

もっとも、佐伯二軍監督は
「40分? 短いです。あんなものはウオーミングアップのウオーミングアップですよ」
と涼しい顔。
さらに
「バッティング練習をしてヘロヘロにならないわけがない。それは手を抜いているということ。選手の個々の能力とプレースタイルは尊重します。でも、練習量に関しては僕の物差しで測らせてもらう」
とニヤリ。

谷繁監督が
「あれだけ練習するヤツを見たことない」
と評する佐伯二軍監督の物差しはそうとう長そう。
今年の中日二軍は地獄必至だ。







中日・佐伯2軍監督 いきなり熱血指導“オレの独り言”も

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131031-00000008-spnannex-base

saekitanishigemorishige.jpg
練習の打ち合わせをする(右から)谷繁監督、森ヘッド、佐伯二軍監督

中日の佐伯2軍監督が予定外の熱血指導を行った。

荷物整理のためにナゴヤ球場を訪れたが、谷繁監督らの求めに応じて若手選手に急きょ、打撃指導。
ロングティーを行う吉川に対しては
「井端、荒木を抜かすのがおまえの宿命。これはオレの独り言や」
などと“ささやき”ながら、40分間ボールを上げ続けた。
「短いです。あんなんでは終わらないですよ」。
今後も猛練習を課すことを宣言し、吉川は
「野球に入り込めたし、燃えるものがあった」
と疲労の中に充実感をにじませていた。







【中日】佐伯2軍監督初指導で所信表明

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131030-00000101-nksports-base

saekiyoshikawa2.jpg
佐伯2軍監督(左)は吉川を熱血指導(撮影・前岡正明)

中日は30日、ナゴヤ球場で秋季練習を行った。
新任の佐伯貴弘2軍監督兼打撃コーチ(43)もジャージー姿で初めて指導した。

若手の伸び悩みなどが指摘されているが同2軍監督は、そういった質問に対しまっすぐ前を向いて、持論を展開した。

「1軍に行けないとか、2年連続(2軍が)最下位だとか、今いる人間にとってはいい言い訳があるともいえるわけです。
ベテランが多くてチャンスがなかった、そういう気持ちも逃げ道になっている。
僕が今思っていることは、どんなことがあっても逃がさない、ということ。
男らしく強い選手を育てたい。
ファンの人、1人1人が心底応援したいという強い男を育てたい。
(選手には)たくさん失敗もしてもらいたい。
多くの失敗は財産になる。
いっぱいへばって、いっぱい失敗してくれればいいと思っています」

真っ暗になったナゴヤ球場で、私服に着替えて熱く“所信表明”。
「いい人になるつもりはない」
と腹を決め、うわべだけでない魂の指導で選手とぶつかる覚悟だ。





【中日】谷繁、佐伯2軍監督との信頼強調

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131030-00000102-nksports-base

tanishigeshuukirenshu.jpg
ナインとともにアップを行う谷繁兼任監督(中央)

中日は30日、ナゴヤ球場で秋季練習を行った。
新任の佐伯貴弘2軍監督兼打撃コーチ(43)も就任発表後、初めて顔を出し、ジャージー姿で熱血指導した。

谷繁元信捕手兼任監督(42)も
「来るとは思っていなかった。(球場に)来て知りました。一生懸命やってやろうという気持ちのあらわれだと思います」
と、よく知る佐伯2軍監督の気持ちと行動を高く評価した。

さらに
「電話でちょこちょこ話をしているので今日は特に何も言っていない」
と信頼感とつながりの強さも強調した。




佐伯二軍監督から、さっそく名言が飛び出しました。


「選手の個々の能力とプレースタイルは尊重します。でも、練習量に関しては僕の物差しで測らせてもらう。」

「いい人になるつもりはない。」

「井端、荒木を抜かすのがおまえの宿命。これはオレの独り言や。」


選手個々のプレースタイルを尊重するが、練習量に関しては佐伯監督からの強烈な要求が感じられそうです。

選手に嫌われても、猛烈な練習を強要する予定のようです。

なんと頼もしい二軍監督なのでしょうか?

佐伯二軍監督は時期尚早かと思っていましたが、これほど二軍監督に適任な人はいないのかもしれません。

ドラゴンズのファームは間違いなく底上げされるのではないかと思います。


アライバを追い抜けと堂々と宣言しているところも良いですね。

こういう事を言ってガンガン二軍で選手を鍛え上げられたのでは、アライバも必死で練習する事になります。

すると一軍の選手達も目の色を変えて練習するようになりますので、二軍で猛烈に練習する事が、一軍のレベルも上げる結果をもたらす良循環となるはずです。


この2年間のムダなジョイナス暗黒期間がまるで嘘だったかのように、ドラゴンズの何もかもが改善されていく様子が実に素晴らしいです。

谷繁監督はドラゴンズのこの良循環を思い描いて、佐伯二軍監督就任を依頼したのですね。

川上哲治監督 → 落合監督 → 谷繁監督 → 佐伯二軍監督と、猛練習が日本プロ野球のレベルを上昇させる教えが伝播していくのは素晴らしい良循環であると思います。


こうやって、日本プロ野球のレベルが高水準に維持され、さらに発展していく事はとてもいい事です。

佐伯二軍監督の活躍と、若手ドラゴンズ選手達のさらなる成長を大いに期待したいと思います。





谷繁監督地獄キャンプ“フライング”始動

http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20131031-1211711.html

nakatatanishige.jpg
中田賢(右)にアドバイスする谷繁兼任監督(撮影・前岡正明)

谷繁元信捕手兼任監督(42)率いる新生中日が30日、予定を“前倒し”し実質的な秋季キャンプをスタートさせた。
同キャンプは11月1日スタートと発表されたが、この日のナゴヤ球場には谷繁監督、森繁和ヘッドコーチ(58)佐伯貴弘2軍監督兼打撃コーチ(43)がそろい踏み。
真っ暗になる午後5時過ぎまで約8時間のハードなメニューが続いた。
ひと足早く地獄の秋が始まった。

事実上のキャンプ初日の練習は約8時間、暗くなるまで続いた。
佐伯2軍監督が愛車に乗って引き上げたのは午後5時30分過ぎ。
もうヘッドライトがまぶしい“夜”になっていた。
球団はこの日、秋季キャンプの日程を発表した。
期間は11月1日から24日まで。
厳密にはまだ秋季練習だが、張り出されたメニューはキャンプのそれ。
これまでとは雰囲気も一変。
谷繁監督は
「キャンプインは明後日。その準備ですね」
と言ったが、張り詰めた空気の中の実質初日だった。

厳しいメニューに若手選手はフラフラになった。
「練習がハードだが?」
と聞かれた新監督は
「練習すると言いましたよね? その通りです。普通にやることをやる、大げさではありません」
多くの選手が常識を変えていく必要があるようだ。

その象徴が、新任の佐伯2軍監督だ。
盟友の谷繁監督でさえ
「来るとは思ってなかった。知らなかった」
と驚く突然の登場にもかかわらず、ジャージー姿で朝から晩まで熱血指導。
異例のスタートを切った。
選手として在籍していた11年以来、2年ぶり復帰。
吉川には40分間ぶっ通しのロングティーを課し、隣でその気にさせるつぶやきを交える独特の指導。
「40分? 短いですね。あんなんでは終わらせない。ファンの方々が心から応援したいと思えるような熱い男を育てたい」
今後も徹底した練習を課すことを予告した。
この秋は「地獄」の形容がふさわしい、選手にとっては長く、辛い日々。
1年後の栄光に向け鍛錬の季節となる。




常勝ドラゴンズが帰ってきそうなニオイがしますね。

とってもウキウキワクワクします。







にほんブログ村


野球 ブログランキングへ

ブログランキングならblogram
















関連記事

テーマ : 中日ドラゴンズ
ジャンル : スポーツ

コメントの投稿

非公開コメント

川上哲治さんは、中日に深い理解を示していた、てゆうかすべてのチームに理解を示していた人だった。

荒木井端の壁を超える選手を育てられるのは、佐伯二軍監督なのかもしれないです。

湯口事件を風化させてはいけない

黄金時代の再来へ

残念ですが、中日新聞社が貧乏なので、ドラゴンズが強くなるには猛練習しかありません。世代交代も猛練習から奪い合いで決着するしかありません。そういう意味でも落合竜のいいところを引き継いだ谷繁PMに多いに期待します。

No title

なんと頼もしい二軍監督。うんうん。ドラゴンズは練習で強くなったチーム。仄聞だけどものすごく楽しみ。そんな気分に冷や汗が。。。http://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/news/20131101/bbl1311010728006-n1.htm
ヤマザキが二軍の監督に就任?だった?その前にフロントが変わって本当に良かった。彼はモリミチ野球の申し子と言ってもよい。坂井も坂井だ。だが思い当たる節はある。シーズン終了少し前からやたら中日スポーツの紙面はヤマザキが踊っていた。間違いなく監督に就任させるアドバルーンを揚げてファンの様子を伺ってたのだろう。最初は一軍の監督に就任させる気なのかと思っていた。冗談じゃない。モリミチにより根こそぎ破壊されたドラゴンズには、まず再建という仕事がある。とくに2軍の仕事が重要になる。経験も無いヤマザキに、若手育成なんてできるわけが無い。白井オーナーに感謝しなくては。今、つくづくそう思っています。

落合GMは川上さんを尊敬してて、川上さんの野球理論を踏襲してるんだから、似て当たり前ですね
ドラゴンズ書


























(DVD)



検索フォーム
PR

ディズニースマートフォン(iPhone5)ケース ミッキー&ミニー

グアム旅行

グアム旅行

ハワイ旅行

バイク

ディズニースマートフォン(iPhone5)ケース ミッキー&ミニー

ディズニー ミッキー 腕時計

ディズニー ミッキー 腕時計

引越し

引越し

ダック

ロリポップ!レンタルサーバー

ロリポップ!レンタルサーバー

ロリポップ!レンタルサーバー

ロリポップ!レンタルサーバー

ロリポップ!レンタルサーバー

ロリポップ!レンタルサーバー

ロリポップ!レンタルサーバー

ロリポップ!レンタルサーバー

脚やせ

エステ

脚やせ

脚痩せ

エステ

エステ

ムームードメイン

ムームードメイン

ムームードメイン

ムームードメイン

ムームードメイン

ムームードメイン

ムームードメイン

「サイパン旅行ナビ」でオプショナルツアーを予約!

「サイパン旅行ナビ」でオプショナルツアーを予約!

マージャン

マージャンの

マージャンは
PR

JQ CARDセゾン

みんなのFX

Francfrancカード

Francfrancカード

LOFTカード

LOFTカード

PARCOカード

JAPANカードセゾン

JAPANカードセゾン

シネマイレージカードセゾン

シネマイレージカードセゾン

シネマイレージカードセゾン

MUJI Card

MUJI Card

ゴールドカードセゾン

ゴールドカードセゾン

セゾンカードインターナショナル

セゾンカードインターナショナル

ラスカルカードセゾン

ラスカルカードセゾン

パール・アメリカン・エキスプレス

パール・アメリカン・エキスプレス

ブルー・アメリカン・エキスプレス

ブルー・アメリカン・エキスプレス

https://af-110.com/pg.php?pgid=247&adid=1182&mid=102&p=[会員ID]

ゴールド・アメリカン・エキスプレス

ウォルマートカード セゾン アメリカン・エキスプレス・カード

ウォルマートカード セゾン アメリカン・エキスプレス・カード

ヤマダLABI ANAマイレージクラブカード  セゾン・アメリカン・エキスプレスカード

ヤマダLABI ANAマイレージクラブカード  セゾン・アメリカン・エキスプレスカード

mytutor

twitterでポイントが稼げるリツイートアド新規ユーザー募集

マジックボール

マジックボール

マジックボール

マジックボール

ヒロセ通商

ヒロセ通商

ヒロセ通商
RSSリンクの表示
PR










































上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。