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来季のドラゴンズの監督に必要な条件を、ドラゴンズの黄金期の名将から学んでみる件 その2













来季のドラゴンズの監督に必要な条件を、ドラゴンズの黄金期の名将から学んでみる件
http://dragonsdoh.blog.fc2.com/blog-entry-228.html


につづいて、第2弾です。

長いドラゴンズの歴史の中で、唯一の黄金期、落合竜の8年間のエピソードを改めて今、見直す事で、ドラゴンズの来季の監督に必要な資質についてのヒントを得ようというシリーズです。

今回も前回に引き続いて、日本のトップ3に入るであろう超一流スポーツジャーナリストの二宮清純さんの、一流の目を通しての落合竜の分析を学んでみつつ、優秀な参謀、コーチの重要性についても知っておくと、落合竜の理解がより一層深まるかと思います。








森繁和(前中日ヘッドコーチ)が明かす 「負けない〝オレ流軍団〟の作り方」
 問題投手だった吉見&浅尾、ドミニカ開拓秘話・・・落合を支えた参謀が初めて語った!


http://gendai.ismedia.jp/articles/-/32428

2012年05月04日

「おい、オレだよ」

横浜の投手コーチだった'03年の終盤戦、見知らぬ番号から電話が入った。

「え?誰?」

声の主は落合博満氏(58)。
知らない仲ではないが、特に親しくもない。

「おい、横浜おつかれな。もう終わりだろ? どうするんだよ、これから」

「いや、これから探すところですよ」

「じゃあ、おい、手伝えよ」

---これが、8年間すべてAクラス、4度優勝&日本一1回という「球団史上最強のドラゴンズ」('04~'11年)を作り上げた落合博満監督&森繁和ヘッドコーチ(57)コンビの出発点である。

'78年、森氏はドラフト1位で西武に入団。
'89年に34歳で引退すると二軍投手コーチに就任。
その後、渡辺久信と工藤公康を擁する黄金期の西武、日本ハム、横浜、そして中日で一軍投手コーチ('10~'11年はヘッドコーチも兼任)を務めた名伯楽だ。
スポーツ紙記者が補足する。

「落合さんが著作『采配』で紹介していた通り、コワモテで、言葉使いは少々乱暴ですが、情に厚く熱い男です。'76年、駒大時代にロッテにドラフト1位指名された際、『(大学の)監督に迷惑はかけられん』と一人で断りに行ったエピソードは有名。『ブルペンから〝シュッシューッシュッ!〟という音が聞こえて見に行ったら、森コーチがシャドウボクシングをしていた』『鼻血を流しながら練習していた若手がいた』など、西武一軍投手コーチ時代の〝愛のムチ〟伝説も広く知られています。かつては携帯電話の着信音が映画『仁義なき戦い』のテーマだったそうで、巨人と激突した'07年のクライマックスシリーズ第2ステージ初戦、試合前ミーティングの最中にチャララ~♪と鳴って選手が爆笑。リラックスしたナインは巨人を3タテし、その勢いで日本一に輝いたという美談も(笑)」

そんな豪腕が今季から評論家に転身。
ドラゴンズの8年間で体得した
「負けない組織作り」
の秘密を明かした。
タイトルはズバリ、『参謀』(講談社刊)。
冒頭は同書に書かれたエピソードの一つだ。

ちなみに契約の際、落合監督が出した条件は
「手だけは上げないでくれ」
だったという(笑)。
そんな指揮官が
「またユニフォームを着るなら必ず森繁和を呼ぶ」
と賞賛する名参謀の〝オレ流軍団〟の作り方を紹介しよう。


2・1紅白戦と最初で最後の投手起用

'03年秋、落合竜誕生直後に行われた秋季キャンプで発表され、物議をかもしたのが
「春季キャンプ初日、2月1日の紅白戦開催」
その狙いは誰にも語られなかったが、森氏は驚かなかったという。

〈実際、キャンプ最初からゲーム形式でやらないと、開幕戦までにチーム作りは間に合わないものなのだ。初日にその紅白戦をやれるようなら、2日、3日たったら、全員もう実際の打者を相手にするフリーバッティングでも投げられるということになる。ということは、フリーバッティングもキャンプインから始められるので、打者もすぐに実戦的な練習に入れるわけだ〉(本文ママ。以下同)

だが、さしもの森氏も驚いたのが、肩の故障で3年間、一軍実績ゼロだった川崎憲次郎の開幕投手指名だったという。

'04年1月、舞台は伊豆の温泉---。

〈開幕投手のことを言われたのは、監督と私が二人っきりで温泉につかっているときだった。超極秘事項である。
「オレはオーナーに強いチームにしてくれということで呼ばれてそれを引き受けた。やる以上は、まず勝つことを前提にやるので、協力してくれ。ピッチャーのことは全然わからないから、とにかくシゲに全部任せるから」
と。で、それに続いて言われたのが、
「ただし、開幕投手だけは川崎で行ってくれないか。本人には言ってある」〉

勝ちにこだわるんちゃうの? という心境だろう(笑)。
結局、川崎は2回5失点で降板。
この年、1勝もできず引退したのだが、落合監督の〝最初で最後の投手起用〟には、川崎を刺激し、苦労人の彼を勝たせようと周囲を奮起させること以外にも、大きな意味があったという。

〈失敗を成功に結びつけるために、あえて冒険をする。それをいきなり私は教えられた気がした。緒戦で奇策を使うことで、相手はその先がいつもわからなくなるのだ。(中略)相手の立場で考えてみる。そして相手が一番嫌がることをやる。しかもどうせやるなら、最も効果的になるようにやる。その重要性を監督は教えてくれたのだ〉

そしてこの〝奇襲〟は一石二鳥で終わらない。
冒険をするためには、失敗した時にカバーするロングリリーフの整備が不可欠。
これが
「強い投手システムを生むきっかけになった」
というのだ。

〈全員常に60から70パーセントの状態にしておく。いわば3回を3点に抑えられるレベルの投手を増やしておけばいい。その上で、できるだけ投手全員に一軍のマウンドを経験させておく。一軍のベンチに入る投手は12人が普通だが、これを13人にする。二軍の投手の情報もしっかり把握して、すぐ入れ替えられる組織を作る〉

昨季、一軍登板のなかった投手は、ケガなどでタイミングが合わなかった二人だけ。
落合監督の奇策に対応するための投手スタッフ作りが、全体のレベルアップおよび若手育成に繋がったのだ。


新人王ゼロの組織作り

昨季のセ最多勝エース・吉見一起(27)とリーグMVPでホールド記録を更新中の浅尾拓也(27)は、そんな育成システムが育てた好投手といっていい。
だが、二人とも当初は〝問題投手〟だった。

吉見は'05年の入団前にヒジを手術。
まず1年、リハビリしなければならないという〝注意書き〟つきの投手だった。
1年後、146~147km/h出せるまでに回復したが、ブルペンで吉見の内外角・高低の制球力に目をつけた森氏は、こう指示した。

〈「目いっぱい投げるストレートは、1球でいいからね。相手バッターはその速さを意識するし、ネクストバッターズサークルで見ている打者も、『こいつ、こんなストレートの威力がある』って思ってくれる。(中略)あとは変化球のコントロールだけ気をつけろ。それを見せておけば、もうある程度力を抜いてコントロール重視で勝てるから〉

'06年、日本福祉大から入団した浅尾は、ピアスと手入れされた眉毛が目立つ一方、腹筋が20回もできなかった。

〈いい球を放ることはすぐわかったが、ひと目見て、まず無理、このまま投げたら絶対パンクすると確信した。身長はあるのだが、とても細かったのだ。生で見てから、すぐ二軍に行かせて、体力作りからやり直させた。まず腹筋がこれだけできるようになりなさい、やったらいつでも上げるからと〉

いい新人はすぐにでも目一杯使いたくなるものだが、全投手が底上げされている中日では、ジックリ育て、ムリをさせないことが可能だったのだ。

〈中日の投手陣は、8年間で2度も12球団一の防御率になった。(中略)だが、投手の新人王はこの間、一人も出していない〉


ドミニカで助けてくれた巨漢

主砲のブランコに150km/h超の快速球が武器のネルソン。
ここ数年のドラゴンズを支えているドミニカン獲得ルートを築いたのは落合&森コンビである。
だが、その船出は実はかなり場当たり的だった。

キッカケは
「実績がなくてもゆっくり一年間見て、ダメでももう一年使ってみたいと思うような26~27歳までの、安く獲れてちょっといいのをどこかで探して来れないか」
なる落合監督の一言。

〈「安くていい選手が獲れる可能性があるのはドミニカしかないでしょう」 「ドミニカってなに?」〉

こんなやりとりの末、単身、現地へ飛ぶのだが、コネも何もない彼を救ったのが、森氏がかつて「マルちゃん」と名づけて可愛がっていたドミニカ人で、巨漢の大砲、マルティネス(西武→巨人)だった。
地元球団の社長などを紹介してくれたマルちゃんは、後に有力チームの打撃コーチに就任。
人脈は一気に広がった。

〈残念だったのは、今メジャーの大ヒーローのニューヨーク・ヤンキースのロビンソン・カノを、惜しくも取り損ねたことである〉

見たかったな、アラ・カノコンビ!

*

その他、同書には
「完全試合直前の山井交代秘話」

「岩瀬隠し」
など必読トピックが山盛り。
それは『参謀』を読んでいただくとして、最後はご本人に登場願おう。
テーマは'12年のドラゴンズ。

「マサ(山本昌)が戦力になったのはとてもいいこと。彼の体調面に不安が出るであろう、シーズン中盤に向けて若手を二軍でジックリ鍛えて、見極められるのですから、中日は今年も優勝争いできますよ。不安は外国人。私がスカウトして連れてきたドミニカ人たちは本で指摘したように、かなり給料が良くなってハングリー精神の面で不安があります。締め直さないといけない」

落合&森遺伝子が残る「負けない組織」は、今年もVの大本命である。












森繁和×二宮清純 <前編> 「今だから話せるオレ竜の真実」
『参謀』 『天才たちのプロ野球』 出版記念スペシャル対談


http://gendai.ismedia.jp/articles/-/32434

2012年04月26日

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完全試合で継投の舞台裏

二宮:
森さんの『参謀』、興味深く読ませていただきました。
一番驚いたのは、岩瀬をベンチ入りメンバーに入れながら、実は試合前に帰らせたことがあったと。
相手ベンチに気づかれないようにするのは大変だったでしょう?

森:
彼の場合は首、ヒジ、腰といろいろ故障も抱えていたので、ちょこちょこ帰らせました。
だけど、岩瀬がいなければ相手の攻撃も変わってしまう。
いないとなると、相手は右の代打陣を早めにどんどん使ってきますからね。
それだけは絶対にバレないように手を尽くしました。
グラウンドに顔だけ出させて帰すとか、バスで球場までは来させても、そのまま裏からタクシーに乗せるとか。
試合中も気を遣いましたよ。
岩瀬がいないから勝ちゲームでも浅尾(拓也)を早めに出すわけにはいかない。
左や右のワンポイントをうまく使って、試合中でも岩瀬不在が分からないようにしていましたね。

二宮:
岩瀬といえば思い出すのは2007年の日本シリーズです。
中日が3勝1敗で王手をかけた第5戦。
先発の山井大介が8回までパーフェクトピッチングをしていたにもかかわらず、中日ベンチは最終回に岩瀬を起用した。
岩瀬はピシャリと3人で抑えて試合を締めくくりましたが、この投手起用には
「シリーズ初の完全試合のチャンスを潰した」
と批判の声もありました。
ただ、私は異様な雰囲気のなかマウンドに上がり、平然と仕事をやってのけた岩瀬を称えるべきではないかと考えたのですが……。

森:
その通りですよ。
二宮さんの『天才たちのプロ野球』でも、その点は触れられていましたよね。
僕は野球をよく知っているはずのOBたちが、なぜ岩瀬を褒めてくれないのか不思議でならない。
あれはレギュラーシーズンじゃない。
日本シリーズの、53年ぶり日本一なるかという大事な場面です。
点差もわずかに1点。
一番信頼のあるピッチャーをマウンドに送り込むのは当然でしょう。
そんな責任重大なところを3人で抑えてくるのは本当に大変なんですよ。

二宮:
でも続投か継投か、試合中はかなり悩んだのでは?

森:
もちろん僕もピッチャー出身ですから、普通なら
「我慢して行ってこい」
と山井に言いたかったですよ。
ただ、この試合を勝つためには山井というピッチャーの特徴も考えなくてはいけない。
彼はいい時はいいけど、余計なことを考え出すと終わってしまう。
この年はクライマックスシリーズから調子は良かったので最初から先発で使うつもりでしたが、あまり早く本人に伝えると考え過ぎてしまうのでシリーズの勝ち負けの状況を見ながら起用を決めました。
第5戦、相手の先発予想はダルビッシュ(有、現レンジャーズ)。
正直、負けても仕方がないという計算の下での山井先発でした。
本人にも
「オマエは5、6回持ったら十分だから。ラクに行けよ。もしうまく行って浅尾、岩瀬につないでくれたら御の字だから」
と話していたくらいです。

二宮:
なるほど。
勝ちを意識せず、リラックスして投げられていたのが、完全試合がちらついてピッチングが崩れるのを恐れたと?

森:
そうなんです。実はどうせ途中で代えると思っていたので、試合の中盤までは
「おい、まだひとりもランナー出ていないぞ。完全試合だ。頑張れ」
と激励していましたからね。
本当に完全試合をやらせるつもりなら、そんなこと言わないですよ(笑)。

二宮:
加えて本人は試合中にマメを潰していたそうですね。

森:
はい。それも見ていたので、5回くらいから、どこまで引っ張ろうかと考えていましたね。
でも、ずっと0点に抑えていたので動きようがなかったんです。
本人も
「大丈夫です。行けます。なんとか浅尾、岩瀬につなぎます」
と言ってくれた。
それで7回が終わった時点で
「浅尾、岩瀬につなごうか」
と聞いたら、
「いや、頑張ります。なんとか岩瀬さんにつなぎます」
という言葉が返ってきました。
だから、
「じゃあ頑張れ。いつでも代える準備はしてあるから」
と伝えて送り出しました。
8回も3人で抑えて、いよいよ最終回。
でも、ここで走者が出てから代えるのは、いくら岩瀬でもしんどい。
どうすべきか悩みに悩みましたよ。
終盤3イニングの1時間が3時間にも4時間にも感じたくらい。
それで本人に意思を確認したら
「岩瀬さんでお願いします」
と。
これでようやく踏ん切りがついた。
山井の一言に僕も監督も救われましたよ。

二宮:
もし山井が
「投げさせてくれ」
と申し出ていたら?

森:
投げさせました。
それは監督とも決めていたんです。
「山井が“行く”って言ったら、行かせますよ」
と。
でも、本人も
「代えてください」
と言うと思っていました。
完全試合目前といっても、打順的にも走者がひとり出たら上位に巡ってくる。
一番しんどいところでしたから。

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守護神・岩瀬のメンタルケア

二宮:
そんな守護神・岩瀬について、『天才たちのプロ野球』ではこんな発言を紹介しています。
「この仕事はストレスがたまるもの。2月から11月までは、とにかく我慢、我慢だと思っている」
気晴らしにアルコールも口にしないそうですね。

森:
だから、うまくリフレッシュさせてやらないと、中に溜めこんでしまう。
遠征先では行きつけの店に連れて行って一緒にメシを食いに行って、話をしたりしましたよ。
岩瀬は競馬が好きなので、東京遠征の時には
「じゃあ、大井競馬やっているから行くか」
と誘ったりもしましたね。
リリーフピッチャーって重圧のなかで、ひとりでマウンドを守っているから、本当に気を遣うタイプが多い。
そこまで気にしなくてもいいよと思うくらい。
それだけにメンタル面のケアはこちらもいろいろと考えました。

二宮:
昨季はリーグ優勝を決めた試合に象徴されるように、浅尾に最後の締めくくりを任せる場面もありました。
これは将来を見据えての起用だったのでしょうか?

森:
もちろん絶対的な抑えは岩瀬ですが、昨年あたりから、そろそろ浅尾にも経験させておかなくてはいけないと考えていました。
岩瀬の実績やプライドを踏まえれば難しい面もありましたけど、たとえば岩瀬が3連投したら
「じゃあ、今日は休みだ。もう上がっていいよ。使わないつもりで継投を考えるから」
と言って、浅尾に最後を任せました。
浅尾本人にも
「今日、岩瀬は投げさせないから、オマエが9回だ。先々のこともあるから、割り切ってやってくれ」
と事前に伝えましたね。

二宮:
岩瀬の起用法は基本的に1イニング限定でしたね。

森:
なるべくイニングまたぎはさせなかったです。
ピッチャーにとって、イニングまたぎは本当に難しい。
リリーフは先発とは違って5イニングも6イニングも投げないので、1回、ベンチに戻って座ってしまうと
「あぁ、良かった」
と、どうしても気持ちが切れてしまう。
盛り上がっていた気持ちが冷めちゃうんです。
それで次の回につまずくケースが多い。
こちらも最初から
「良かったら次の回も頼むぞ」
と伝えられればいいのですが、まずは目の前の打者に集中してほしいから、マウンドに上がる時には
「しっかり抑えてこいよ」
くらいしか言えないものです。
だから浅尾がイニングまたぎをする時には、
「ベンチに座るな」
と。
「ロッカーに行って着替えて、そのままキャッチボールができる状態でいてくれ」
と話していました。

二宮:
森さんは現役時代、82年、リリーフに転向して西武の日本一に貢献しました。
その経験も踏まえていると?

森:
そうですね。打たれた時はともかく、抑えた時はもう1イニング行かせることはできるだけさせたくない。
抑えた時には、そのままいい状態で次の登板に向かわせたいんです。
逆に打たれた時は次の日、すぐにでも投げさせる。
「やられたら、どんなことがあってもやり返してこい!」
と常に行っていました。
その代わり、2回目も失敗したら許さんぞ、と。

二宮:
今後は森さんのように先発もリリーフも経験したピッチングコーチが求められるのかもしれませんね。

森:
確かに佐藤義則(現東北楽天コーチ)、斉藤明夫(元横浜コーチ)と、同級生でそういうコーチが増えてきましたね。
先発には先発の、リリーフにはリリーフのしんどさがある。
リリーフでも中継ぎと抑えではまた違う。
それぞれの気持ちを分かってやらないと、コーチは務まらなくなっていると感じます。



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落合が決めた唯一の投手起用

二宮:
野球の監督で最も難しいのはピッチャーの継投だと言われます。
ところが落合博満前監督は、この部分を全て森さんに任せていたと。
落合さんが継投にあれこれ口を出したことは本当に一度もなかったんですか?

森:
一度も言わなかったですね。
全部、ピッチャーの起用はこちらで決めました。
ただ、こちらも迷っている時に、監督の考えを聞くことはありましたね。
たとえば右と左のリリーフをブルペンで用意させていると、監督も
「どこで代えるの?」
って聞いてくる。
「右(バッター)が代打で出てきたら、右(ピッチャー)を出そうと思っています」
と答えると、
「そうだよな。でもな、ここは右(ピッチャー)のほうがイヤな予感がするな」
と言ってくる(苦笑)。
他にも左ピッチャーが(アレックス・)ラミレス(現横浜DeNA)を迎える場面だったら、苦手な右のサイドスローをぶつけたいんだけど、監督は
「ラミレスに右をぶつけてポンとライトに打たれるのはイヤだな。左だったら引っ張ってくるんだけど」
と言ってくるんです。

二宮:
アハハハ。
それはかえって迷いませんか?

森:
でも、よく考えると監督の言っていることが正しいんです。
このラミレスのケースではランナーが一塁にいて、左ピッチャーなら引っ張ってくれてサードゴロゲッツーの可能性もある。
それで続投させると
「シゲ、代えないの?」
って聞いてくる。
「このまま行きましょう。左ならゲッツーの可能性もあるんでしょう?」
「うん、オレはそう思うな」
……こんなやりとりをベンチの中ではしていました。
ただし、監督は打者目線から自分の考えは言っても、絶対に
「代えろ!」
と指示を出すことはなかったですね。

二宮:
そんななか、8年間で唯一、落合さんが決めた投手起用が1年目の開幕戦、川崎憲次郎の先発だったとか?

森:
あれは僕も驚きましたね。
キャンプ前にコーチ陣の顔合わせをした時に、
「1回、みんなで温泉でも入って、ゆっくりしようや」
と誘われたんです。
そのお風呂の中で
「川崎先発」
と言われました。

二宮:
当時、川崎は01年にFA宣言をして中日に移籍して以来、1度も一軍での登板がありませんでした。

森:
監督としては、3年も投げられなかったピッチャーが開幕の時点で使える状態にならなければ、もうダメだろうという考えだったようです。
はっきり言ってしまえば、その時点で使えなければ引退だと。

二宮:
なるほど。
使えるか使えないか分からない状態が一番良くない。
その見極めを開幕戦でやってしまおうと?

森:
計算が立つか立たないかは開幕戦を見たら分かる。
監督がそのつもりでやるなら、開幕戦とはいえ144分の1。
どうせシーズン中に最低でも50回は負けるんだから、それが最初の1試合目でもおかしくないだろうと。
あの試合はたまたま逆転勝ちをしましたが、こちらは負ける覚悟でピッチャーを用意していました。
川崎には、その後も2回チャンスを与えましたが、結果は出ませんでしたね。
本人も投げてみて納得した部分があったのではないでしょうか。
「今年で引退したい」
と自ら言ってきましたよ。
最終的にはお互いにとって、いいかたちになったと思っています。

二宮:
でも期せずして、あの起用がチームをひとつにしたという側面もあります。
選手に聞くと、
「開幕戦で勝ったことでチームに勢いが出た」
と言っていました。

森:
そうですね。ベンチの全員が“川崎のために”という思いがありました。
投げたくても投げられない状態だったのは知っていますから、何とかモノにしてやらなくてはという気持ちが出ていましたね。

二宮:
当時、中日のエースは川上憲伸。
川崎先発となると、彼へのフォローも必要だったでしょう?

森:
その点は気を遣いました。
開幕戦を川崎で落としたら、そのまま2戦目も負けてしまうかもしれない。
となると最悪でも3戦目は絶対に勝たなくてはいけない試合になる。
だから、3戦目に川上を持ってきたんです。
川上は意気に感じる男なので、
「オレのなかでは3戦目が一番大事な試合だと思っている。だから、一番いいオマエを3戦目の先発にしたいんだ」
と話をしました。
2戦目の(山本)昌にも、
「川崎は開幕戦に投げたら、1回、登録抹消するから、次のカードはオマエが初戦で軸になる」
と、こちらの考えを伝えましたね。


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情報漏洩を防げ!

二宮:
そして川崎先発の何よりの効果は、他チームに
「中日は何をやってくるか分からない」
という意識を植え付けたこと。
決して落合さんは奇襲を多用するタイプではなかったのですが、勝手に対戦相手が警戒してくれた面もあるのではないでしょうか。

森:
采配は本当にオーソドックスでしたよ。
監督がどこまで意図していたかは分かりませんけど、
「まさか開幕にやるか」
と周囲は感じたでしょうね。
監督は1年目に
「戦力を10%底上げして優勝する」
と宣言していました。
これも僕らのなかでも半信半疑でしたから。僕自身、
「本当に間違いじゃないですよね?」
と何度も聞いたくらいです。
でも監督は
「優勝を狙っているよ。できるよ」
としか言わない。
それがハッタリだったのかは何とも言えません。
ただ、最終的には本当にリーグ優勝しましたから、スゴイなと感じましたよ。

二宮:
落合中日の強さの秘密のひとつに、情報管理の徹底が挙げられていました。
情報漏れを防いでいたからこそ、川崎先発という奇策も実現できた。
プロ野球の世界ではケガ人の情報などを自ら発表してしまうチームがありますが、個人的には首をかしげてしまいます。
マイナスの情報が出れば、相手を利することにつながるはずなのに……。


森:
僕たちがコーチになって、一番に言われたことが
「情報を外に出すな」
でした。
「情報を漏らした時点で一緒にはやれない」
と。
おそらく監督はロッテ、中日、巨人、日本ハムと渡り歩いて、チームが悪くなる時の共通項が見えていたと思うんです。
勝てない時は、必ず内部でゴタゴタがある。
それが外に漏れると、余計に騒ぎが大きくなる。
特にOBゆえに、中日の悪い部分も知っていたんでしょう。
だから、
「情報漏れだけはやってはいけない」
という信念があったように感じます。

二宮:
それまでの中日には、引退したら地元メディアで解説をやり、いずれはコーチ、監督になるという流れがありました。
ところが落合さんはOBを極力、排除するコーチ人事を行った。
これは一種の革命でしたね。

森:
はい。
監督と僕しか知らないような重要な話が、球団代表、オーナーと伝わる間に、もう情報が漏れている(苦笑)。
そうやって周囲からチームが崩されていくのを監督は一番恐れたのだと思います。
それだったらOBや球団とつながりのある人間を入れるのはやめようとなりますよ。
実は、僕が監督から指示された最初の仕事が情報漏洩の“犯人”探しだったんです。

二宮:
ピッチャー担当のみならず、そんなミッションもあったんですね。

森:
テレビから新聞から、情報が漏れたところの記者をつかまえて、
「どこから聞いた?」
と徹底的に聞き出しました。
もちろん、記者連中も取材源はしゃべりませんけど、とことん出所を突きとめていったんです。
そうすると、コーチがつながりのあるメディアに漏らしていたり、トレーナーなどのスタッフが流していることが分かった。
1年目が終わった時点で、情報漏洩の確信がとれた人たちはみんな辞めてもらいました。

二宮:
最終的には先発ピッチャーについて、落合さんにすら事前に伝えなかったとか。

森:
先発を誰にするか、監督と僕しか知らないなら、本当は分かりようがないんです。
ところが、それでも漏れる。
だから、監督が
「もうシゲの考えでいい。オレにも言うな」
って(苦笑)。

二宮:
メディアは何としても情報を得ようと、いろいろな手段を使ってきます。
対応は大変だったのでは?

森:
いくら聞かれても大事なことはしゃべらない。
それだけの話です。
その場しのぎでウソをつくと、かえって面倒になる。
たとえば誰かがケガをして2カ月かかるのに、「1週間」と言ってしまったら、メディアには
「森の言っていることは全部ウソ」
と思われます。
そのほうがメディアも追っかけてくる。
重要事項はしゃべらないというスタンスを貫けば、向こうもしつこく聞いてこなくなりますから。


谷繁の休みを考慮したローテーション

二宮:
落合中日で興味深かったのは、コーチ陣の肩書に1軍、2軍の区別がなかったこと。
これも一元管理のなかでチームをつくるという方針だったのでしょうか。

森:
これまでのように1軍と2軍が分かれていると、こちらの考えが十分にファームに伝わらない。
だから常に情報が共有できる信頼のできる人間を置いておきたかったんです。
これは監督も同じ考えでした。
ファームにも先発ピッチャーのローテーションがある。
たとえば1軍で週末に先発した人間が調子が悪いとなった時、ファームでいいピッチャーが平日に集中して投げていたら、1軍に上げて先発させられない。
だから2軍も平日にひとり、週末にひとり、できれば左右1枚ずつ1軍で投げられるピッチャーを使ってほしいと話をしていました。
これはリリーフも同様です。
そして、その状態は毎回、報告してほしいと。

二宮:
こうすれば緊急事態が発生しても、代わりがすぐに用意できると?

森:
そうです。
だから中日では30人ほどのピッチャーを、多い年にはほぼ全員、1軍に登録したはずです。
故障していない人間なら、1年に最低1回はチャンスが巡ってくる。
やはりピッチャーは経験を積まないと成長しません。
1回使ってダメでも、それを踏まえて、また次に上がってくる時には、どこか良くなっている。
そうやってピッチャーは育てていくべきというのが僕の考えです。
ピッチャーの入れ替えを頻繁にするには、ファームといつでもコミュニケーションがとれ、信頼関係がないとできません。
こういった仕組みが構築できたことは良かったと思っています。

二宮:
落合中日は8年間でリーグを4回制しましたが、優勝した年はすべてチーム防御率が1位です。
中日の強さは、言いかえればピッチングスタッフの強さでした。

森:
ピッチャーを預かる立場として、シーズンを勝ち抜くパターンをつくりあげることをずっと考えていました。
昔は勝っていたら、抑えが2、3イニング投げるのは当たり前でしたが、今はそうではない。
中継ぎ、セットアッパー、抑えとリリーフの枚数がそれなりに必要になる。
加えて勝ちゲームのみならず、負けている試合に投げるピッチャーもいないと、長丁場は乗り切れません。
先程、言ったように、経験を積ませる上でも若手を入れる枠を設けることも大切です。
となるとピッチャーの1軍登録メンバーは12、3人に増やしてもらわなくてはいけませんでした。

二宮:
まずは、その点を落合さんと話し合ったと?

森:
はい。
必然的に野手の枠が削られますから、どこでも守れるユーティリティープレーヤーが求められる。
かつキャッチャーの3人体制を2人に減らしてもらいました。
幸い中日には谷繁(元信)という不動のレギュラーがいましたし、最悪の場合は和田(一浩)もキャッチャー経験者です。
だから、谷繁がケガをしている時以外は、キャッチャーの人数は基本的に2人でした。

二宮:
ベテランの谷繁に関しては、うまく連戦のなかで休養日を設けていましたね。

森:
はい。
金曜日のナイター後の土曜のデーゲームで休むか、移動して試合をする木、金曜日に休むか、本人に任せていました。
「いいんですか?」
と聞くから、
「その代わり、試合に出続けても問題なければ言ってくれよ。基本的にはオマエがメインなんだから」
と。
それで彼の休日をまず決めて、谷繁以外のキャッチャーでも問題ないピッチャーを、その試合に先発させていたんです。
だから、記者も先発を予想する際に谷繁の休みを調べれば良かったんですよ。
でも、ここまで考えた人間は、きっといなかったでしょうね。

(後編につづく)

<森繁和(もり・しげかず)プロフィール>
1954年11月18日、千葉県出身。
駒澤大学高を経て、駒澤大では東都リーグ通算18勝をあげ、76年のドラフトでロッテから1位指名を受ける。
これを拒否して住友金属に進み、78年のドラフト1位で西武に入団。
82年からリリーフに転向し、日本一に貢献。
83年には当時の日本記録となる34セーブをあげ、最優秀救援投手に輝いた。
88年限りで引退し、西武の投手コーチに。
00年から日本ハム、02年から横浜と渡り歩き、04年からは監督に就任した落合博満から要請を受け、中日のコーチに就任。
強力投手陣をつくりあげ、8年間で4度のリーグ優勝に尽力した。
昨季限りで退団。
プロ入り後、初めてユニホームを脱ぎ、解説者として活躍中。
現役時代の通算成績は344試合、57勝62敗82セーブ、防御率3.23。

<二宮清純(にのみや・せいじゅん)プロフィール>
1960年2月25日、愛媛県出身。
スポーツ紙や流通紙の記者を経て、フリーのスポーツジャーナリストとして独立。
五輪やサッカーW杯、メジャーリーグ、ボクシング世界戦など国内外で幅広く取材活動を展開。
著書に『スポーツ名勝負物語』『最強のプロ野球論』『スポーツを「視る」技術』『プロ野球の一流たち』(いずれも講談社現代新書)『勝者の思考法』(PHP新書)など多数。
この4月には『プロ野球の職人たち』(光文社新書)も刊行。
携帯サイト「二宮清純.com」が好評配信中。













二宮:
今後は森さんのように先発もリリーフも経験したピッチングコーチが求められるのかもしれませんね。

森:
確かに佐藤義則(現東北楽天コーチ)、斉藤明夫(元横浜コーチ)と、同級生でそういうコーチが増えてきましたね。先発には先発の、リリーフにはリリーフのしんどさがある。リリーフでも中継ぎと抑えではまた違う。それぞれの気持ちを分かってやらないと、コーチは務まらなくなっていると感じます。



この会話は、とても深いと思います。


そういえば、高木中日の投手コーチは、権藤、近藤、今中でしたが、3人とも先発投手です。

だから高木中日は中継ぎ投手の使い方があんなにも絶望的に下手くそだったのだ、という事がよくわかります。

来季のドラゴンズの投手コーチは、一流の中継ぎ投手経験者から選択して欲しいですね。







森繁和×二宮清純 <後編> 「バッターは飛ばないボールで工夫せよ!」
『参謀』 『天才たちのプロ野球』 出版記念スペシャル対談


http://gendai.ismedia.jp/articles/-/32563

2012年05月16日

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西武球場のこけら落としで先発

二宮:
森さんはドラフト1位で住友金属から西武に入団しました。
ところが、1年目の成績は5勝16敗。
まだ当時の西武は所沢移転1年目でチームは弱かった。

森:
こんなに負けても投げ続けて本当にいいのかと思いましたよ(苦笑)。
それにアマチュア時代のほうが練習もキツかった。
駒澤大で太田誠監督にしごかれて、
「こんなに厳しいところはさすがにないだろう」
と思って社会人に行ったら、もっとキツかったですからね。

二宮:
大学、社会人と比べたら、西武のほうが練習がラクだったと?

森:
はい。
「今日は走り込みだ」とメニューをこなすのですが、100メートル10本とか、50メートル10本で終了。
10時半から練習開始で、12~13時には終わっていましたからね。
1年目は西武球場が建設中だったので、自主トレが終わったら、そのままテキサスのブラデントンで開幕直前までキャンプをしていました。
しかも、借りていたグラウンドはパイレーツのキャンプが始まると全然使えない。
練習場所がどんどん原っぱのような球場に格下げになっていきました。
食事だって準備がなくて、自分たちで食べに行かないといけなかったんです。
その後、ハワイで調整をして帰国したんですけど、
「こんなところで日光浴してていいのかな」
と思うほどでした。

二宮:
実は西武球場の記念すべきこけら落としゲームの先発投手は森さんなんですよね。

森:
監督から告げられた時はビックリしましたね。
「えっ? 東尾(修)さんじゃないんですか」
と。
東尾さんが反発するんじゃないかと本人のところにも行ったら、
「いいよ。投げろ」
と言われましたね。
おそらく新生・西武ライオンズとして少しずつチームを変えていく意味もあって、僕が指名されたのでしょう。
でも、結果は味方のエラーもあって自責が0点なのに5失点という散々な内容でしたけどね(苦笑)。

二宮:
1年目の西武は最下位でしたが、そうそうたるメンバーがいました。
エースの東尾さんに、キャッチャーは野村克也さん。
他にも山崎裕之さん、田淵幸一さん、土井正博さん……。

森:
顔ぶれはすごかったですね。
若手とベテランの年齢差が激しかった。
試合は負けてばかりでしたけど、乱闘は強かったですよ(笑)。
僕たち若手がワーッと走っていって、後ろからベテランがノソノソ歩いてくると、相手チームの選手たちは勝手にベンチに下がっていましたから。


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酔わせて秘密を聞き出す

二宮:
西武の入団1年目は根本陸夫監督でしたね。

森:
根本さんは監督というよりも、チームをつくって育てる仕事のほうが向いていましたね。
だから優勝争いができるチームになったところで、
「オレの役割は終わった」
と監督を辞めてしまった。
「ここからは本当に野球を知っている監督の下で戦えれば絶対勝てる」
と。

二宮:
新たにやってきたのが広岡達朗さん。
当時のどの選手からも、
「管理野球で厳しかった」
と聞きます。

森:
野球以外に私生活も管理されたので大変でしたよ。
食事制限があったし、奥さん連中を集めて栄養の講習会をしていましたから。
それまでは
「どんどん好きなものを食え」
と言われていたので苦しかった。
ただ、広岡さんから野球の細かい部分を教わったことは役立ちましたね。

二宮:
広岡監督の就任1年目に森さんは途中からリリーフに転向し、82年、83年と2年連続の日本一に貢献します。
その翌年の84年には江夏豊さんが日本ハムからやってきました。

森:
広岡さんとしては抑えは1人より2人いるほうが安心だと思ったのでしょう。
でも、いくら実績や年齢が上と言っても、僕にもプライドがある。
やっと一人前として認めてくれるのかなと思ったら、高橋直樹さんとか年齢が上のピッチャーがどんどん入ってくるのはツラかった……(苦笑)。

二宮:
ただ、そういった実績ある先輩たちに揉まれた経験は今に生きているのでは?

森:
それは確かにあったかもしれませんね。
おかげさまでお酒は強いほうだったので、先輩たちに誘われたらついて行くようにしていました。
先輩だと奢ってくれるし、いろんなところで、いろんな人に合わせてくれる。
そうやって遊んでいるなかで時々、野球の話が出るんですね。
これが勉強になりました。
たとえば黒田(正宏)さんから南海が強かった頃の思い出を聞いたり、阪急の山田(久志)さんや福本(豊)さんから日本一になった時の話をしてもらう。

二宮:
それは当時、駆け出しだった工藤公康さんも言っていましたね。
酒の席で東尾さんがポロッとこぼした一言がヒントになったと。

森:
僕なんかは飲めるクチだったから、どんどん相手を酔わせて聞き出していましたよ。
他球団の選手が
「オマエのクセはなぁ」
なんて漏らしてくれた時は、本当にもうけものでした(笑)。

二宮:
広岡さんの後は森祇晶さんが監督になり、西武は黄金期に突入します。

森:
振り返ってみれば、現役時代の監督はみんな野手出身なんですよ。
太田さんも松永さんも野手だし、根本さんと森さんはキャッチャー。
広岡さんも内野手です。
だから逆にピッチャーらしいことを教わった人がいない……。
西武に入団した頃はピッチングコーチもキャッチャー出身の浦田(直治)さんでしたから。


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二宮:
現役引退後、森さんは西武、日本ハム、横浜でコーチを歴任しました。
しかし、落合博満さんとは接点がなかった。

森:
僕も何で声がかかったのかわからなかったんです。
監督とはチームが違ったし、特別、親しくしていたわけではない。
唯一、接点があるとすれば、社会人時代に一緒に代表に選ばれて海外遠征したくらい。
僕はその前年(1977年)にもインターコンチネンタル杯の代表に選ばれてニカラグアに行っているんです。

二宮:
ニカラグアは72年に大地震があって、その復興支援で大会が開かれたそうですね。

森:
行ったらビックリしましたよ。
国内情勢が混乱しているので、夜8時以降は外出禁止。
“こんなところで野球ができるのか?”と思いましたよ。
それでもホテルの鉄条門をくぐって、飲みに出かけたりしていましたけどね(笑)。
もっと驚いたのはニカラグア戦前日のウエルカムパーティー。
ホテルで食事をしたら、みんなバタバタ倒れていく。
救急車が出動する事態になったんです。

二宮:
食あたりですか?

森:
じゃがいもの芽にあたったみたいです。
ピッチャーは何とか助かったけど、外野手が足りなくて、ピッチャーの福間(納)さん(後にロッテ、阪神)が外野を守らなくてはいけないほどでした。
当時のニカラグアは上位を争うチームでしたから、
「ニカラグアの陰謀じゃないか」
という話も出ましたけどね(苦笑)。
そして、いざ試合が始まるとバンバン音がする。
爆竹を鳴らしているのかと思ったら、ピストルの銃声だったんです。

二宮:
野球どころではありませんね。

森:
みんな怖くなってヘルメットをかぶっていましたよ(苦笑)。
外野を守っていても石が飛んでくるし、本当にすごかった。
ただ、これが南米や中南米の野球に興味を持つきっかけになりました。

二宮:
なるほど。
だから森さんは中日時代にドミニカで選手獲得に乗り出したわけですね。
トニ・ブランコやマキシモ・ネルソンなどが貴重な戦力になりました。

森:
全然、期待はしていなかったんですけどね。
監督自身は
「日本の選手だけでも、それに合った野球をやれば勝てないことはない」
と常々、言っていました。
ただ、理想に近づくには当面は助っ人の力も必要。
だからタイロン・ウッズを横浜から獲得しました。
でも、年俸が高かったから他の外国人に回せるお金がない。
「他はどこかで探してこい」
と言われて、思いついたのがドミニカだったんです。


ドミニカはメジャーの草刈り場

二宮:
でも、外国人獲得は普通、編成の仕事ですよね。
少なくともコーチの仕事ではない。

森:
だけど、中日に来た時は海外の編成担当がなかったんですよ。
監督に
「なんで、こんなの連れてきたんだ」
と言われたくなかったのか、なぜだか分かりませんが……(苦笑)。
年俸は1億円まで用意してくれるというので、1000万円の選手を10人連れてきて、ひとりでも当たればいいという考えでしたね。
ダメでもともと。
そういう気持ちで現地に飛んで、最初に4人を連れて帰りました。
年俸は全員250万円でした。

二宮:
それはかなり安い買い物ですね。

森:
まぁ、ほとんど活躍できませんでしたけどね。
そもそも現地に行ってもツテがないので球場のなかに入ることすらできない。
球場で視察しているのはメジャーリーグのスカウトばかりで日本の球団のスカウトは皆無でしたからね。

二宮:
日本ではカープが最初に目をつけて、アカデミーをつくりましたが、近年はあまり機能していないようですね。

森:
環境は良くて設備もしっかりしているのですが、グラウンドは草がボーボー生えている状態です。
僕が行った時にはピッチャーが10人くらいしかいませんでしたね。
選手よりもニワトリとか羊とか、動物がうろちょろしているのが目立つくらい……。
今のドミニカは、いい素材をメジャーリーグの各球団が大金を出して獲得していくので、カープアカデミーにやってくるのは、どうしてもそこからこぼれた選手ばかりになってしまいます。

二宮:
そんななか、どうやってドミニカで人脈を築いたのですか?

森:
球場周辺をブラブラしている時に会った日系人の方との出会いがきっかけです。
その時、初めて知ったのですが、ドミニカには日本からの移民もたくさんいたんですね。
たくさん土地がもらえるというので喜んで行ったら、塩混じりの大地で全く作物が育たない。
かなり苦労されたという話を現地で聞きました。
その方に
「何かあったら電話しろ」
と助けていただいて、徐々に知り合いが増えていきました。

二宮:
西武や巨人で活躍した“マルちゃん”ことドミンゴ・マルチネスの存在も大きかったそうですね。

森:
彼は僕が西武のコーチをしてきた頃に日本にやってきました。
マルちゃんとコンタクトを取って球場にも入れるようになりましたからね。
ドミニカの球団オーナーや社長、GMといったところも紹介してもらった。
06年からはスカウトも担当してもらいましたよ。
一度、選手を獲得すると、“また日本に連れて行ってくれるんだろう?”と、こちらからお願いしなくても、たくさん選手を紹介してくれる。
それで、やってきたのがブランコやネルソンというわけです。

二宮:
これだけパイプをつくれれば、現地で代理人ビジネスをして、メジャーや日本に選手を売り込むのもおもしろいのでは(笑)?

森:
ちょっと考えたこともありますよ(笑)。
ドミニカには本当に素晴らしい選手がたくさんいます。
メジャーはほとんどの球団がアカデミーをつくっているほどです。


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ファンサービスに不熱心?

二宮:
私が未だに疑問に思うのは、昨年の落合さんの“解任劇”です。
球団側は観客数の減少などを理由にしたそうですが、それはまずフロントの責任でしょう。
現場の最大の仕事はグラウンドで結果を残すこと。
一昨年、昨年とリーグを連覇した監督を辞めさせる理由はどこにもないと思うのですが……。

森:
それは僕も聞きたいくらいです。
何を基準に考えたのか……。
「ファンサービスに不熱心」
という話も出ましたが、むしろ監督とは
「なんで球団は何もやらないんだろう」
と話していたんですよ。


二宮:
では、落合さんが
「ファンサービスは必要ない」
と言っていたわけではないと?

森:
僕が知る限りでは、そんな発言は1回も聞いたことがありません。
もちろん現場は勝利が最優先ですから、いくら球団が企画したファンサービスでも、選手のコンディションを考慮して彼らを守る必要はあります。
ところが、そもそも球団から、そういった提案が僕たちのところへ来たことがなかったんですから。


二宮:
しかも契約を更新しないと告げられたタイミングが、東京ヤクルトとの首位攻防4連戦の直前でした。

森:
ここで発表か、という気持ちでしたよ。
西武のコーチ時代に森監督が日本シリーズの最中に退任報道が流れたことを思い出しました。
真っ先に心配したのが選手の動揺です。
選手たちには
「この4連戦が勝負だ」
と言ってきましたから。監督はこの件については一切、選手に言わないというスタンスだったので、僕はまずコーチ陣を集めて、
「ここまで来たらオレたちにも意地がある。なんとか優勝して辞めようや」
と話をしました。
そして、選手とのミーティングでハッキリ言いました。
「監督がこういう状況になって、オレも今年で辞める」
と。
続けて
「でも、今までの苦しいシーズン、オレたちはずっと我慢してきた。この4連戦に合わせてローテーションを組んできたんだ。今日の1試合目が大事だ。ここで勝てなかったら、まずダメだと思ってくれ」
と。

二宮:
とにかく選手の気持ちを切らさないようにしたかったわけですね。

森:
そうです。
日本ハムが梨田(昌孝)監督が退任を発表して、一気に優勝争いから脱落した。
これを恐れました。
だから、
「今日、1勝して、次の2試合目も勝ったら、まだチャンスがあると思ってくれ」
と言ったんです。
そして
「3つ勝ったらなんとかなるぞ。最後の1試合は負けてもいい」
と。
すると本当に、その通り3連勝して最後の試合で負けました。

二宮:
4連戦前にヤクルトとの差は4.5ゲームありましたが、これで2.5ゲーム差。
逆転優勝への望みがつながった4連戦になりました。

森:
幸いだったのは、10月にもヤクルトとの4連戦がもう1度あったこと。
「ここでも同じローテーションで戦って、3勝1敗で行こう。それなら0.5ゲーム差だ」
と話をしていました。
その後、ヤクルトにケガ人や病人が出たりして、逆に10月の4連戦は0.5ゲーム、リードして迎えることができた。
選手たちが、その気になってくれたことが最後の逆転につながったと思います。

二宮:
落合さんは8年間で中日をここまでの常勝軍団にできたのは、コーチや選手の人事についても全権を委ねられていた点も大きかったのではないでしょうか。

森:
それは全部握っていましたね。
選手の年俸についても球団の査定担当とよく話をしていました。
僕もピッチャーに関しては、試合ごとに登板した選手の評価を出していましたよ。
勝ちゲームだったら、今日の勝利に貢献した割合は先発が何割で、中継ぎが何割とか。
それを監督がチェックして査定担当がつけたポイントと照らし合わせていました。

二宮:
監督も査定に加わっているとなると、選手も張り合いが出るでしょうね。

森:
監督は選手のことをよく見ていましたからね。
「コイツは、あまり出番はなかったけど、終盤で守備固めに出てくれなかったら勝てなかった。だからポイントをあげてくれ」
といった話を査定の人間にしていました。

二宮:
落合さんには現役時代から“オレ流”とか“自己中心的”というイメージが強いのですが、指導者としては気配りの人だったんですね。

森:
そうですよ。
オレ流なんて、とても思えない。
8年間一緒にやってみて、周りが勝手に言っているだけだなと思いました。



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投高打低の真犯人

二宮:
さて最後に今季のプロ野球の話を。昨季から低反発の統一球が導入され、日本のプロ野球の風景は一変しました。
打撃戦が減り、ロースコアのゲームが増えた。
この点も投手力の優れた中日には追い風になったように感じます。
今季はさすがにバッターも対応してくると感じましたが、昨季以上に苦しんでいる印象を受けます。

森:
でも、去年でも成績が変わらなかった選手や、逆に良くなった選手だっていますからね。
どの球団も同じボールでやっているんだから、それを言い訳にするのはどうかなと個人的には思いますよ。
バッターにとって大変だったのは、ボールに加えて、審判のセ・パ統合でストライクゾーンが広がったこと。
それまではパ・リーグのストライクゾーンのほうが狭かったんですよ。
それをセ・リーグの広いゾーンに合わせた。
しかも節電で時間短縮とか、いろいろな要素が重なって、ストライクゾーンがかなり大きくなりましたね。

二宮:
確かにストライクゾーンの変化を指摘するバッターや解説者は多いですね。

森:
それまでのセ・リーグの審判はパ・リーグと比べてアウトコースがやや広い傾向がありました。
ところが昨季は内も外も広くなった。
ストライクになるなら、ピッチャーはインコースにどんどん投げられる。
統一球は滑りやすいので、抜けて危険球というケースも増えていますよね。
そして、もうひとつバッターが苦労している原因をあげるならば、バットの軽量化もあるのでは、と感じています。

二宮:
バットですか……。

森:
2年前までのボールならポンポン飛ぶので、多くのバッターが軽いバットを使って、ギリギリまで引きつけて速いスイングをするようになったんですね。
今のバットは920グラムとか930グラムとか、僕たちの現役時代では考えられないほど軽くなっています。
ところが統一球になって飛ばなくなったので感覚が変わってしまった。
だから去年からバットが折れるシーンが目立つでしょう?

二宮:
しかも砕けるようにバラバラに折れています。
折れたバットが当たってケガをしたピッチャーもいましたね。

森:
今のボールを打つならバットを重くしたほうがいいと思いますよ。
これは井端(弘和)に聞いたんですけど、彼もバットを重くしたら、
「去年のボールでも飛ぶようになった」
と言っていましたからね。
ボールが飛ばないんだから、それなりに重量のあるバットで対抗しないと難しいのではないでしょうか。

二宮:
あまりにも投高打低なので、統一球を見直そうという意見も出てきています。

森:
だからと言って元に戻したら、またヘンなホームランばかり出ますよ。
下位打線なのに、東京ドームで反対方向にスタンドインするなんてあり得ない。
現役時代に、そんなホームランを打たれた記憶なんてないですからね。
今年はすぐに結果は出ないかもしれないけど、もう少しバッターがバットも含めて対応を考えるべきでしょう。


監督よりも「参謀」を

二宮:
将来的に監督という考えは?

森:
いや、監督は僕の性格に合わない。
やりたいとは感じませんね。
それだったら裏方でいろいろ頭を使っているほうがおもしろい。

二宮:
やはり自分は参謀向きだと?

森:
僕が参謀と言えるかどうかは分かりません。
中日の時だって、野球の参謀をやっていたわけではありませんよ。
ピッチャーに関しては任されていましたけど、試合の作戦にはほとんど関わっていないですから。
それは監督の仕事。
まぁ、野球以外の部分で、いろいろ動いたという点での参謀なのかもしれませんが……(笑)。

二宮:
アハハハ。
情報漏洩の犯人探しとか、そういう役割ですね。

森:
そうです。
自分のチームのことだけじゃなくて、うまくやれば他チームの火種を大きくして煙を立てることだってできる。
表に出せない部分、人に言えない部分で仕事をするなら自分にもできるかなと感じています。
今季はそういうことができなくなって、実はものすごく寂しいんです(苦笑)。


(おわり)


<森繁和(もり・しげかず)プロフィール>
1954年11月18日、千葉県出身。
駒澤大学高を経て、駒澤大では東都リーグ通算18勝をあげ、76年のドラフトでロッテから1位指名を受ける。
これを拒否して住友金属に進み、78年のドラフト1位で西武に入団。
82年からリリーフに転向し、日本一に貢献。
83年には当時の日本記録となる34セーブをあげ、最優秀救援投手に輝いた。
88年限りで引退し、西武の投手コーチに。
00年から日本ハム、02年から横浜と渡り歩き、04年からは監督に就任した落合博満から要請を受け、中日のコーチに就任。
強力投手陣をつくりあげ、8年間で4度のリーグ優勝に尽力した。
昨季限りで退団。
プロ入り後、初めてユニホームを脱ぎ、解説者として活躍中。
現役時代の通算成績は344試合、57勝62敗82セーブ、防御率3.23。

<二宮清純(にのみや・せいじゅん)プロフィール>
1960年2月25日、愛媛県出身。
スポーツ紙や流通紙の記者を経て、フリーのスポーツジャーナリストとして独立。
五輪やサッカーW杯、メジャーリーグ、 ボクシング世界戦など国内外で幅広く取材活動を展開。
著書に『スポーツ名勝負物語』『最強のプロ野球論』『スポーツを「視る」技術』『プロ野球の一流た ち』(いずれも講談社現代新書)『勝者の思考法』(PHP新書)など多数。
この4月には『プロ野球の職人たち』(光文社新書)も刊行。
携帯サイト「二宮清純.com」が好評配信中。













高木中日になってからどうして継投がダメダメになってしまったのか、よくわかる対談だったと思います。

落合竜はコーチに1軍と2軍の肩書をつけず、ファームでも週末と平日で大事な投手に登板させていつでも1軍での登板への準備をさせる綿密な連携など、やり方が繊細で高度です。

今の雑な高木中日にはありえない効率的で精密な連携フォーメーションです。

やはり一流スポーツジャーナリストが相手だと、森繁和さんの魅力と能力をいかんなく引き出しているという感じがします。

中日スポーツにはそういう事ができなかったんですね、力量不足で。

中身がスッカスカの中日スポーツの記事を魅力あるものにしていたのは、落合監督の言葉と、森繁さんの緻密な継投の作戦だったのです。

落合竜が終了してからの中日スポーツのつまらなさといったらないですよね。

高木中日になってから中日スポーツの部数が激減したのも、実は落合竜という主要コンテンツを失ったから、後は何も無くなってしまったという事だったんですね。

高木中日も中身が全く無いですからね。


現状の高木中日にあまりにも中身が無さ過ぎて、名将落合監督や名参謀森繁和ヘッドコーチのエピソードが濃いったらないですね。

ドラゴンズファンにとって落合竜というのは、強さの魅力もさることながら、そのコンテンツの面白さも幅広く深く楽しませてもらっていたんだな、という事がよくわかりますね。


















さて、上記の森繁さんと二宮清純氏との対談でも出てきたように、岩瀬さんはお酒が飲めないので一緒に大井競馬に行って岩瀬さんの重圧を少しでも取り除いてあげようと努力していたという森繁和さんです。

文面からも、森繁和さんが非常に細かく岩瀬さんのコンディションを幅広く深く観察・管理していた事がよくわかりますね。


現在の高木中日では、どうなんですかね?

それどころか、岩瀬さんのコンディションをきちんと把握する事すら、怠っているのではないですかね?


土曜日の阪神戦の解説者の立浪氏は、岩瀬さんが登板させられ、投球を始めると、

「球が高い。投球が高めに浮きまくっている。」

とずーっと言い続けていて、この立浪氏の解説を聞いていて、ここのところ3連投など岩瀬さんが酷使されていたのを思い出しました。


そうしているうちに福留さんに四球、その後2塁打で走者2塁3塁、次打者の内野ゴロをサード周平がファンブルして、あっという間に同点にされてしまいました。

その後も不運なポテンヒットが2つであっという間に失点を重ね、敗戦となってしまいました。


高木中日は、1-0で勝てないチームです。

継投が下手くそなのと、普段から捨て試合を作らず中継ぎ投手と抑え投手を酷使しているから、1-0の試合ができないんですよね。


落合竜は1-0で勝つような試合ばかりでつまらないと言っていた人は誰ですか? (A.中日新聞社の記者とか、坂井克彦とかです)

落合竜のように1-0で勝ちまくるのと、高木中日のように1-0で勝てずに逆転負けしまくって借金が増えまくるのと、どちらが良いんですかね?


<プロ野球>阪神逆転勝ちで3連勝 中日今季最多の借金15

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130824-00000074-mai-base

○阪神4-1中日●(24日・ナゴヤドーム)

阪神が逆転勝ちで3連勝。
1点を追う九回、1死二、三塁で浅井の三ゴロが失策を誘い追いつくと、なお一、三塁から西岡の勝ち越し中前適時打などで計4点を挙げた。
中日は岩瀬が踏ん張れず、今季最多の借金15。

借金が1997年以来の15に膨らんだ中日にとって、唯一の収穫は先発・カブレラの好投だろう。
制球が良く、打たせて取って7回無失点で
「ようやく完璧なピッチングができた」
と満足そうだった。
好投の要因は苦手のクイックモーションが改善されたからだ。
日々の練習で、今中、近藤両投手コーチから徹底指導を受け、
「クイックがしっかりした分、走者が出ても落ち着いて投げられた」
白星は手にできなかったが、次回も期待ができそうだ。




谷がきちんと守備をしていればダブルプレーでしたし、周平選手のファンブルがなければ無失点で3アウトを取れていたので、何の問題も無く1-0で勝っていた試合でした。

ナゴヤドームは守り勝つ試合をして勝つ球場で、その基本を守らない高木守道の低レベルの采配では逆転負けもします。

酷使続きで疲労のたまった岩瀬さんに、ザル守備を跳ね返すこともできず、逆転負けを食らいました。

岩瀬さんの責任ではありません。

坂井克彦プロデュースの高木中日の、高木守道の変な采配の責任です。


高木中日の借金15は、1997年以来なんだそうですので、16年ぶりの愚将ですね。

ドラゴンズにとって、16年に一人の無能監督が、坂井克彦が据えた高木守道です。

16年に一人の無能監督を連れてきた坂井克彦は、重大な過失を犯したといえます。

坂井克彦と高木守道は、どう考えてもセットでクビですね。

坂井克彦と高木守道を1セットでクビにしなければ、全てのドラゴンズファンが納得しないでしょう。







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テーマ : 中日ドラゴンズ
ジャンル : スポーツ

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高木守道及び坂井克彦よ、これまでの愚行を中日ファンの皆様の前で土下座で謝罪しろ!!

最早・・・最早なのである。昨日に関しては、1-0で勝たないといけない試合だったはずである。なのに9回にエラー絡みから点を取られて、連夜の逆転負け。借金もいよいよ15の大台に突入したのである。敗因?まあ昨日に関しては、高橋周平の失策も痛かったし、岩瀬は打たれる等、原因は様々だが、強いて挙げるならば

「阪神先発の藤浪晋太郎から、1点しか取れなかった事。しかも適時打なしで抑えられたのである」

これに関して言えば、毎度毎度の彦野利勝が藤浪攻略法について「甘い球を狙って行く」という、小学生でも分かる幼稚コメントを連発しているのである。今に始まった事ではない、いつもこんな感じなのである(#`皿´)。我々は毎度毎度、奴の糞発言に対して仕事してるのかと怒りを露にしている。だから今までコーチの話が来ないんだよ(# ゜Д゜)!!

あと、高木守道の昨日の敗戦コメントは「私に何を言わせたいの」という明らかな職場放棄かつ投げやりな発言である。何を言わせたいのか?我々中日ファンの答えはこれだ。

「これまでの愚行を中日ファンの皆様の前で土下座して謝罪し、坂井克彦や糞首脳陣と共に今すぐに辞めろ(#`□´)!!」だ。

今日の件にて森繁和名誉コーチが仰った事は非常に素晴らしいと思った。落合名監督及び森名誉コーチ時代なら、昨日の試合は恐らく勝っていただろう。これこそが、黄金期を築いた落合名監督及び森名誉コーチらと醜態だけを晒す高木守道らとの差である。

そしてこの2年で見事に醜態だけを晒す球団にしやがった坂井克彦や糞起用及び酷使継投に選手批判連発の高木守道の罪は極めて重大である。とにかく一刻も早く中日ドラゴンズが再び輝くには、この犯罪者共のプロ野球界からの永久退場を要求するしかないのである。

長文失礼しました。最早、中日ドラゴンズは崩落への階段を歩んでいる・・・

良い内容でした

二宮さんと森繁コーチの対談記事を初めて読みましたが、すごい8年間だったんだなぁ・・・とあらためて感じました。

落合監督と森繁コーチの著書を読んだので、だいたいの中身を知っていましたが、やはり緻密な野球だったんですね。

高木竜はもう何て言うんでしょう、相手に行動パターンが筒抜け(クソ采配はある意味でよくわかりませんが・・・)、ドラゴンズの不気味さがまるでない。

管理人様の仰る通りで、ガッツ坂井は何がしたくて「新しい風」を入れたんでしょう。
バカ・アホ、間抜けの経営者として失格です。

高木竜の試合よりも、管理人様のこのブログを読んでいた方が66倍も楽しいです\(^o^)/

阪神にとって鬼門と言われたナゴヤドーム。
虎が猫になると言われたナゴヤドーム。

それも今は昔
阪神が三タテしようとしています。
猛虎となって。


実は落合時代から阪神はナゴヤドームでそんな悪い試合をしてるという印象は無かったんですよね。

中日が紙一重で失点を防げていたのが、紙一重で失点を防げなくなったってことでしょ。
それによって、得点や勝敗がひっくり返っただけ。
当然の結末。

もう一つ。
一昨日、平田のホームランボールがレフトを守っていたマートンに投げられるということがありましたね。
多分阪神ファンだと思うけど投げた意図は何だろう??
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