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半世紀前にもいた高木守道そっくりな中日の愚将の件
















このブログを始めて6ヶ月ちょっとになりますが、いぜんとして数々の高いレベルのコメントが寄せられます。

中には、わざわざ非公開コメントにして、

「かくかくしかじか、こういうネタでブログを書いてみてはどうか?」

というご提案も何度かいただいております。

その内容の高度さには、幾度となく驚かされるものがありました。

今回も、そんな風にしてご提案いただきました、「濃人渉(のうにん・わたる)」という高木中日の悪夢にも匹敵する、中日ドラゴンズ史に汚点を残した愚将について、いただいたコメント文章を使わせていただきつつ、ご報告させていただきたいと思います。


濃人 渉(Wikipedia)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BF%83%E4%BA%BA%E6%B8%89

濃人 渉(のうにん わたる、1915年3月22日 - 1990年10月10日)は、昭和初期から後期(1930年代後半~1970年代前半)のプロ野球選手、内野手(主に遊撃手)。
名古屋金鯱軍契約第1号選手。
プロ野球監督。
広島県広島市生まれ。

1960年、金鯱時代の知り合いで当時、中日の代表だった平岩治郎に誘われ、同チームの二軍監督としてプロ球界復帰。
翌1961年、一軍監督に就任。
井上登、吉沢岳男、森徹ら、生え抜きトレードを敢行しチームを改革。
与那嶺要らを入団させ新人権藤博の大車輪の活躍で、巨人より1勝多い72勝をしたにも関わらず引き分けの差で2位に甘んじる。
ユニフォームを変更し(1962年中日ユニフォーム)この時代では斬新だったカラフルユニフォームは話題を呼び、翌年も3位と健闘したが、親会社(中日新聞社)の「六大学出身の監督が欲しい」という理不尽な理由で解任された。
解任の背景には当時、中日新聞社が、中日の前身・名古屋軍の親会社だった新愛知と、名古屋金鯱の親会社だった名古屋新聞の合併会社であり、両社の出身者が持ち回りで球団オーナーを務める取り決めから、1962年までは名古屋新聞系のオーナーで、翌1963年からは新愛知系のオーナーが就任する事が決まっていた、という事情があった。
それに加えて、自身のノンプロからの子飼いの選手を入団させた一方、生え抜きの選手を多く放出した事に対し地元名古屋で総スカンを食らった。
ただ森徹らを放出したことで、高木守道ら若手が抜擢されたという部分もある。

「権藤、権藤、雨、権藤」のプロ野球界の名フレーズを引き起こした権藤博の酷使については色々言われるが、権藤自身は当時
「ノン・プロ時代から世話になっている濃人さんにこれだけ期待されているのですから、二、三年で肩がつぶれても悔いはありません。男として思いきりやるだけです」
と人生意気に感ずる気持を語っていた。
一方で、肩の痛みを訴える権藤に
「たるんでるからだ!」
と平然と言い放った事でも知られる。

この年、石本秀一とともに投手コーチだったのが近藤貞雄で、近藤は自著『野球はダンディズム'88』の中で
「当時はまだ若輩で、濃人監督・石本ヘッドコーチの権藤の使い方を、疑問の目で見ながらも、確たる理論的な裏づけもないまま、口を挟むことができなかった」
と話しているが近藤はこの年の反省と、後に触れた元ヤンキースのジョニー・セイン投手コーチの理論から「投手分業制」を球界に持ち込むことになる。
弟子はとことん可愛がるが、感情的に相容れない選手は徹底的に嫌う、というような感情にまかせた選手起用をしたともいわれ、濃人や弟子の江藤愼一と合わなかった早稲田大学出身のチームの主砲・森徹を徹底的に干した挙句、放出したことでも知られる。
近年、野球雑誌に載る森の記事の森のプロフィールには、この辺りを「諸事情あって若くして引退」と書かれる。
濃人自身は
「九州勢とか地元勢とかいろいろ言われた。そういうことは根拠がない。だけれどもスポーツ紙はおもしろおかしく書きたがる。だから一般ファンが騒ぎ出した」
と話している。

板東英二の著書である、『プロ野球知らなきゃ損する』では、昭和36年の大トレードの内情を書き、濃人を批判している。
それによれば、九州出身の選手でチームをかため身の安泰を図ったところ、干された主力選手達がそれに反発。
対立は段々と深まり、ついには中日本社をも巻き込む大騒動となり、試合そっちのけで連日連夜、一本の道を挟んで濃人側がナイトクラブへ、主力選手側がバーへ集まり、相手を蹴落とすための作戦会議をしていたという。
主力選手側の人間から裏切り者が出たことにより、最終的に濃人側が抗争に勝利、反濃人の主力選手を全員放出するトレードを行った。
水原茂はそのトレードについて嘆き、
「中日は何ということをしたんだ。吉沢岳男をパに出してしまうなんて、セ・リーグの損失だ」
と話したと記述されている。

nouninwataru.jpg




いやー、すごいですね・・・アホでクソですね(笑)

こういう個人的感情丸出しで大失敗しているアホな監督を見て、改めて落合監督の偉大さを思い知りますね。

1962年というと、今から51年前なのに、中日新聞社が合弁会社だからドラゴンズのフロントの勢力が2分されて醜い抗争を繰り返すとか、現在の中日新聞社の状態と全く同じじゃないですか(笑)

監督が感情に任せた采配をして失敗すると人のせいにするとか、今の中日球団の状況と全く同じじゃないですか(笑)

50年という半世紀の歳月が流れ、しかし中日新聞社も中日球団は、半世紀前と全く同じ事をしているとか、アホすぎて笑えます(笑)

アホな伝統をそのまま引きずるアホな会社、それが中日新聞社なんですね(笑)

まことに現在の高木中日と状況がそっくりなのに驚きあきれ果てます(笑)

こんなデジャブな歴史ってありえるんでしょうか?(笑)


本塁打王と打点王の2冠の選手、森徹の金銭トレード放出とかすごいですね。


【11月29日】1961年(昭36) 監督との確執で森徹が移籍 決め手は力道山
http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_09november/KFullNormal20091101266.html
シーズン中から中日・濃人田貴実(後に渉)監督と感情的に対立していた森徹外野手の大洋移籍が決定した。
59年の本塁打、打点の二冠王が同一リーグ、しかも交換選手のいない金銭トレードという異例の事態。
話をまとめたのは、当時のプロレス界、いや日本のスターだった力道山だった。
選手起用の好き嫌いが激しかった濃人監督と“ガン徹”の異名をとる頑固な森は最初からソリが合わず、中日が巨人と最後の最後まで優勝争いをしながらペナントを握れなかったのは、主砲と指揮官との不協和音にあるとの指摘もあった。
そこで濃人監督はもう一人の不満分子とされる井上登二塁手と森の2人を、チーム内の血の入れ替えを進めていた南海にトレードに出すことを決め、南海側も穴吹義雄外野手ら3選手を用意。
トレードは合意寸前のところまできていた。
そこへ登場したのが力道山だった。
球界のトレード話になぜプロレスラーがと思うのも当然だが、森の“後見人”が力道山だった。
2人の出会いは戦時中にまでさかのぼる。
当時大相撲の関脇だった力道山は慰問で満州(現中国北東部)を訪れた際、現地で手広く事業をしていた森家と懇意になり、その縁で戦後も交流が続いていた。
力道山がレスラーとして人気者になった後も、早稲田大の野球部にいた森はよく試合を見に行き、力道山も弟のようにかわいがった。
森がプロ入りする際にも力道山は何かと世話を焼き、中日も東京六大学のスラッガー獲得に際し尽力をしてもらったという背景があった。
そのため、弟分のゴタゴタを聞きつけた力道山が本来なら場違いであるはずの球界人事に介入するという、今ではあり得ないような話になった。
力道山は中日の球団トップに直談判し、決まりかけていた南海とのトレードをご破算にした。
「男と男の約束で詳しいことは言えない」
とした力道山だが、関係者の話を総合すると
「森を南海に出すのなら、その原因を作った濃人監督を辞めさせて喧嘩両成敗にするのが筋。さもなければ、森が行きたいという球団に出すべきだ」
と、中日側に詰め寄ったとみられる。
選手の保有権は球団側にあり、それに従わない場合は引退も仕方なしとする野球協約を全く無視した理屈だが、中日側は2500万円のトレードマネーと引き換えに、主軸の右打者を放出。
濃人監督は残留した。森が大洋を選んだのは、早大時代に監督だった森茂雄が大洋の球団代表で、監督も早大の大先輩三原脩だったことが大きいのと同時に、同じセ・リーグで中日(というより濃人監督)にリベンジしたいという気持ちが強かったからだった。
森は大洋で4年間活躍した後に今度は東京(現ロッテ)に移籍。
67年に監督が戸倉勝城になるとヘッドコーチとして因縁の濃人が2軍監督から就任。
戸倉が成績不振でシーズン中に休養すると、濃人がチームの指揮を執ることになった。
あれから6年。
2人の関係は修復には至っていなかった。
結局、膝のケガもあり出場機会が減ると、翌68年にはハワイキャンプのメンバーからも外された。
10年で189本塁打を放ったスラッガーは7試合9打数無安打の成績で、東京・永田雅一オーナーの説得にも耳を貸さずユニホームを脱ぐことを決意。
区切りの1000本まであと29本だった。

nouninwatarumoritoru.jpg



力道山が中日球団と直談判、というか、暴力団と深い関係にあった力道山によるほぼ恐喝だったんでしょうけど、こんなエピソードもあったんですね。


rikidozan.jpg


全ては濃人の人徳の無さから全ての問題が発生していますね。

それは高木守道の人徳の無さから全ての問題が発生している現状と全く同じです。



いただいた情報では、


・濃人渉=高木守道

・天知俊一(ドラゴンズを初の日本一に導いた監督)=落合博満

・牧野茂(天知氏の明大の後輩で読売移籍後名参謀となる)=川相昌弘

・権藤博(濃人に酷使され短命に終わった投手)=田島慎二、岡田俊哉、小熊凌祐など

・江藤慎一(濃人の社会人時代からの教え子で優遇された上に態度もでかかった)=山崎武司

・森徹(江藤とは逆に濃人に冷遇され大洋に放出された本塁打王)=トニ・ブランコ

・井上登(天知氏に育てられたが、濃人と折り合いが悪かった名内野手)=井端弘和




これはカブってますね・・カブりすぎです(笑)

当時入団間もなかった高木はその様子を目の当たりにしてきているはずです。

いったい高木は濃人から何を学んだのでしょうか?

Wikipediaを見る限り、高木守道はこの濃人のおかげでレギュラーを獲得できたようですので、実は高木守道が理想とする監督像は濃人だったりして(笑)

キャラも似てるし(笑)

濃人の悪いところばかりを参考にしたのでしょうか?

しかもその後ドラゴンズは与那嶺監督で優勝するまで低迷期が長く続き、「天知色一掃」で追い出された牧野さんが参謀を務める読売にコテンパンにされる年月が続くことになります。

こんな、「歴史は繰り返される」 はまっぴらごめんです。

ちなみに濃人は後のロッテ監督時代にフロントの指示で放棄試合をしたことがあり(しかも原因は江藤のハーフスイングの判定)、対戦相手だった、自身の過去の経験からフロントの現場介入を徹底的に嫌っていた阪急の名将・西本幸雄監督から

「フロントがどうこう言おうがド素人やないか。オレらと同じ立場の人間がそれでええんか?」

とダメ出しされたことがあります。


【7月13日】1971年(昭46) ロッテ、オーナーの指示で濃人渉監督が放棄試合
http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_09july/KFullNormal20090701158.html
【阪急9-0ロッテ】砂川恵玄球審が試合再開を告げた。
阪急ナインは所定の守備位置に就き、マウンドの足立光宏投手はボールを投げた。
しかし、打席にロッテの選手はいない。
いないどころか、足立の投球には目もくれず、三塁側ベンチは1人また1人とそこから姿を消していった。
再開を宣言してから1分が経過した時、砂川球審は“最終宣告”をした。
「フォーフィッティドゲーム(没収試合)!」
プロ野球史上6度目、ロッテは試合を途中で投げ出した放棄試合で、野球規則2・31に従い、相手チームの阪急に9-0で白星が付いた。
きっかけはハーフスイングをめぐる判定だった。
7回、ロッテの先頭打者、4番江藤慎一一塁手がカウント2-1からの外角低めに反応。
バットがピクッと動いた。
砂川球審の判定は「ボール!」だった。捕球した岡村浩二捕手が振り向いた。
「どこ見てんねん!完全なストライクや!」
一瞬間があったが、今度は砂川球審が
「ストライーク、バッターアウト!」
と180度違う判定を下した。
今度はロッテ側が黙っていない。
江藤が抗議する前に、すっ飛んできたのは矢頭高雄三塁ベースコーチ。
「ボールって言っただろ!岡村のクレームで変えたんか!」
と言うや否や体当たりを食らわした。
即座に退場を言い渡した砂川球審だが、ロッテベンチから出てきた濃人渉監督以下、選手、コーチに囲まれ、激しい罵声を浴びせられた。
執拗に抗議する濃人監督。
時間は10分、20分と経過していった。
抗議が終わらず、いら立つファンがグラウンドになだれ込み、江藤や砂川球審に殴りかかる輩も出た。
警官隊が出動するも、観客はさらにエキサイト。
「ロッテ、帰れ!」
「審判代えろ!」
などとわめきながら、空き缶に空き瓶、食べかけの焼きそばやお好み焼き、なぜか靴まで投げ込まれる無秩序状態となった。
責任審判の田川豊一塁塁審が濃人監督に言った。
「このまま行けばロッテの放棄試合になる。お客さんにも申し訳ないし、ロッテは制裁金を支払わなければならなくなる。提訴を条件に試合再開をしてくれ」
濃人監督はこの提案を突っ張ねた。
というのもこの時、ネット裏で観戦していた中村長芳オーナーの指示を武田和義球団代表を通じて耳打ちされていた。
「審判が判定を覆すまで試合再開に応じるな。試合放棄になっても構わん」
現場の指揮官が興奮しているところいさめるのがオーナーをはじめとするフロントの役割のはずだが、この場合は“積極介入”。
その真意は分からないが、球界名物だった永田雅一オーナーに代わって球団経営のトップに立つことになった岸信介首相の元秘書は、思い込みが激しく、自分が即座に判断したことを押し通す性格だった。
ハーフスイングから35分。
ついに放棄試合が宣告された。
1-4で負けていたロッテにとっては、0-9で負けるのも同じ1敗のように思えたが、これで済むわけがなく、ロッテに課せられた制裁金は200万円。
これにロッテの選手らが西宮球場から出る際に乗ったバスが投石などによって破損。
その修理や弁済に約300万円の請求書が回ってきた。
これで500万円。
まだある。放棄試合の場合、主催球団の被った利益も補償しなければならず、入場券の売り上げからナイター照明代など、安く見積もっても1000万円は優に超える額となった。
総理大臣の月給が66万円だった時代に1年分の給与を軽く上回る負担に、ただでさえ経営の苦しいロッテはさらに自分の首を絞めることになった。
中村オーナーの暴走は止まらない。放棄試合から10日後の7月23日、阪急に2-11で大敗した直後に、前年の70年にパ・リーグを制した濃人監督を解任し2軍監督へ降格。
大沢啓二2軍監督と入れ替えた。
赤字の球団経営がなかなか軌道に乗らないことで、自らの思いつきによって話題を提供しようというにおいがしたが、とにもかくにもロッテはこの猪突猛進型のオーナーにかき回された。
かき回すだけかき回しておいて、中村オーナーは翌72年10月、西鉄から太平洋クラブに経営権が移ったチームのオーナーになるため、借金だけを残してロッテを去った。
これ以外にも逸話に事欠かない中村オーナーだったが、オーナーのツルの一声で成立した放棄試合は以後40年近く1試合もない。

nouninwataru2.jpg




↑こういう記事を読むと、

「昔は監督も球団フロントも、乱暴でアホなヤツが多かったんだなー・・・」

などと思いますが、ふと我に返って、

「今の高木守道も坂井克彦も、乱暴でアホなヤツやんけ!」

と自分にツッコミを入れて苦笑いです。

つまり、ジョイナス坂井克彦による高木中日の正体とは何なのか?、というと、それはつまり、数十年前のアホなプロ野球そのものである、という事です。

坂井克彦による高木中日 = 数十年前のアホなプロ野球

です。

そういうアホな事をしているのが、高木中日そのものだったのですね。

それにしても、50年経ってもこういう歴史がいまだに様々なサイトに残っているのを見ると、これから先50年後、例えば2063年になっても、坂井克彦による名将落合監督の理不尽な解任とかは、さまざまなサイトに載ったまま、永遠に語り継がれていくんでしょうね。

坂井克彦のひとりビールかけとかの画像や映像も、永遠に受け継がれていくんでしょうね(笑)


「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

という格言はビスマルクによる至言ですが、まともなドラゴンズファンの皆さんも歴史に学びましょう。


中日新聞社は愚者なので歴史からは学ばず、50年前と同じ失敗を繰り返しています。

脳が腐りかけた死に損ないのジジイばっかりの重役で占められた中日新聞社が50年前と同じ過ちを繰り返す無様さこそが、まさに中日新聞社の老害そのものなのでしょう。


現在85歳の白井文吾オーナーは濃人を35歳の時に見ているわけです。

2004年、白井オーナーが74歳の時に落合博満をドラゴンズの監督にしたとき、白井オーナーが発言していたのは、

「中日の悪いコネ社会をぶっ壊すような野球をやってもらいたい。」

というものでした。

白井オーナーは頭が良くセンスもいいので、こういう50年前のドタバタをうんざりしながら見ていて、自分がトップに立った時に、一気にこの悪い中日の歴史を改革しようと落合博満を招へいしてドラゴンズの監督にしたのですね。

そしてその白井オーナーの改革は見事に成功し、有能な落合監督は能力を存分に発揮しドラゴンズは黄金期を迎えました。

それを見事にぶち壊して50年前の悪い中日に戻したのが坂井克彦と高木守道であるということです。

sdakaitakagishuunin.jpg


まともなドラゴンズファンの皆さんは、この濃人渉というアホなおっさんの歴史から学び、今の高木中日の愚かさを改めて学習しましょう。

そしてこの濃人渉の歴史こそが、一刻も早く坂井克彦と高木守道をドラゴンズから追放しなければならない理由であるということを知りましょう。




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テーマ : 中日ドラゴンズ
ジャンル : スポーツ

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一言

今の坂井・高木体制に一言。

『真の愚者は、歴史からも経験からも学ばない。』

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このコメントは管理人のみ閲覧できます

昔、そんな人もいたのか・・・

濃人渉という人物なら私も聞いた事がある。ただし私は彼に対しては「中日の看板選手だった江藤慎一氏や森徹氏と対立し、彼らを追いやった人」というイメージしかない。

そういう意味では彼と高木守道は似ているかもしれない。だって・・・

デナベイに移籍したブランコに対して「フォークさえ放らせば簡単に振りますよ。」という子供の発想及び何の根拠もない言い方で酷評してたのである。

そのブランコは堂々と30本塁打を達成し、オールスターにも出る。中日ファンの皆様からすれば、ブランコの活躍は複雑な心境であるだろう。ただし、落合氏も「ブラはよそに行っても良い」と言ってたが・・・

今日からオールスターだが、中日の選手達は怪我なく思う存分活躍して欲しいものである。高木守道に関してはでしゃばる事なく黙って選手達がプレーしてるのを見守って欲しいものである。

長文失礼しました。

(P.S. )昨日、誤字脱字がありました。誠に申し訳ない。次期ヘッド候補氏よ、不快にしてしまった事を誠に申し訳なく思う。後半戦はある程度緩和して書き込みます。

猿のような顔

濃人のような猿が愚者の血を高木は受け継いでいるのでしょう。

中日OBは脳みそ筋肉猿どもが多すぎる。
野武士野球時代もありましたし。
星野時代は暴力野球でしたし。

頭が悪すぎるから落合野球を理解できないのでしょう。今中や井上にはそうならないでもらいたい。

呆れを通り越して笑うしか仕方ないぐらいアホな老害コンビですね。
人類の恥です。
永遠に球界から消え去ってもらいましょう。

お詫び:江藤氏は水原監督の時に退任されました。自分の早とちりで書き込みをしてしまった事を深くお詫び申し上げたい。

ロッテファンですが、濃人ってこんなエピソードがあったんですね・・

数少ないロッテでの優勝監督(1970)なので悪い印象はなかったのですが・・・面白い物です。
ちなみにロッテは1974年には金田監督で優勝しており、これまた濃人同様落合監督と対照的な人物(実際確執ありますし)で、これ以後シーズン1位になってません。色々と不思議なチームですが、何とも情けない・・・

尚、7月3日の記事にコメントさせていただきました。

訂正

先ほどのコメントの最後、7月1日の記事でした。失礼致しましたm(_ _)m

濃人監督擁護

 いつも拝読しています。
 本記事についてはちょっと一方的で不当かなと感じたのでコメントします。
 親分子分的なチーム関係を作り、チームとしての強さとするのはこの時代ではスタンダードなものだったと思いますし、中日ロッテの両チームにおいて監督として全シーズン勝ち越しているのですから無能とは言えないと思います。
 現役選手としての実績ではなく、社会人の日鉄二瀬で監督として無名選手を鍛え上げることで古豪八幡製鉄を凌ぐチームを一から作り上げたという実績を持って中日の監督として招聘され2年間とも優勝争いをさせているのですからどちらかといえばよい監督だと思います。高木監督と比するのはあまりに失礼だと思いますね。
 ブログ主様の評価基準だと南海の鶴岡監督も同類項になるのではないでしょうか?

 ブログ主様にとっては昭和22~23年に中日球団に起こった出来事の方が興味を惹かれると思います。タイトルを見たときは濃人監督ではなく、杉浦清監督のことを取り上げたのかと思いました。
 

すごいチョイス!

濃人さんとはなかなかナイスなチョイスですね!渋いですよ。日本野球の歴史を語る上では外せない迷監督ですね。人間持つ弱さや情けなさを教えてくれると私は感じます。
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